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部活の記憶(パラドクス自己解説・その9)

『パラドクス研究部の解けない謎のナゾとき』は、そのタイトル通り、部活を舞台にしている。
僕の人生において、部活という存在・概念は実に大きいものである。
そんな記憶を語りたい。

中学生のとき、文系の小さな部活に入った。
三年生の先輩はおらず、二年生の先輩が二人、僕ら一年生は六人ほどいたが幽霊部員もいて、最も真面目に出席していたのが僕だった。
ひと部屋の部室が与えられ、放課後だけでなく、昼休みなどにもよく行っていた。
部室には先輩二人と僕だけ、というシチュエーションもよくあった。
そして、先輩は二人とも女性だった。

入部した際、守るべきルールの筆頭として挙げられたのは、部員同士の呼び方であった。
必ず下の名前を用いること。
後輩は先輩を「〇〇(下の名前)先輩」と呼び、先輩は後輩を下の名前で呼び捨てにする、というルールである。
ちなみに顧問の先生も女性で、同様に下の名前を呼び捨てで呼ばれていた。

もはや言うまでもなく、『パラドクス研究部の解けない謎のナゾとき』はこの経験に大いに基づいているのだ。

中学生、というのは多感な時期であり、そしてまだまだ知らないことが多い。
そんな僕に対して、二人の女性の先輩は、部室でえっ、な会話も色々してくれ、僕の人生をかなりねじ曲げてくれた。
僕はそのことに大いに感謝している。一生ものの財産である。
(なお、会話以上に発展したことはない。その距離感もまた良かったのだと思う)

ちなみに『パラドクス研究部の解けない謎のナゾとき』では、ジャージ姿でヘッドロックされるシーンが出てくるが、これは部活の先輩ではなく、同級生の女性にされた実体験である。
これまた僕の忘れられない原体験で、今でもジャージの感触を覚えている。
それ以来、ジャージは正装だと思っている。

高校もまた文系の部活に入った。
SFとか、ファンタジーとか、クトゥルー神話とかが好きだった。
ニャル子さんがまだ世に出ていない大昔の話である。ロード・オブ・ザ・リングの映画もまだ出ていない。
そんな時代に、高校でそういう系の話ができる友人はたった一人(これは男)だけだった。

そして大学では文章系のサークルに入った。
これが僕の創作人生に多大なる変化をもたらした。
僕以上にSFとかファンタジーとか言っている、(いい意味で)変な人間に初めて出会ったのである。
そういう人たちに囲まれ、昼休みや放課後、授業の空き時間などに、部室であれやこれや会話をするのである。
このときの経験が僕の直接的な原点であり、これがなかったら僕の創作人生もなかった。

この部活は「逆年功序列」という文化があった。
重要なことは若い人に決めさせるというものであり、スーパーフラットな人間関係である。
そうした点も含めて、僕のベースを形作っている。

このサークルも部室を持っており、部室の窓から見える景色は季節によって変化する。
『パラドクス研究部の解けない謎のナゾとき』でもこれを踏まえている。

部室というのは一つの場である。特に明確な活動がなくとも、ご飯を食べたり、宿題をしたり、それぞれ気ままに過ごす時間が好きだ。

夏の部室(ただし、実際の部室は夏は汗が垂れ流れるほど暑く、冬は凍えるほど寒かった。それもまた良い記憶である)。

普段は何人かでいる部室に、一人で過ごすというのも良いものだ。

秋。作者的にも好きなワンシーン。

大学での部活での人間関係は今でも続いており、僕の創作にはこうした経験が色濃く反映されている。
部室で先輩と~というのは、構図がマンネリになる恐れもあるが、好きなのだからしょうがない。
むしろ、自分の好きなものというレベルを超え、自分の原点として深く刻み込まれている。
人は、そこから抜け出せない。
最新作『ミス・キャスト・レッド・フード』をプレイされた方は、より納得されると思う。

(パラドクス自己解説・その9/了)


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