『育ての心』を思い出そう/幼児教育の父:倉橋惣三
おはようございます。
子育てを応援する楽しく遊ぶichigoです。
子どもをお手本に生きる私のnote。今日もよろしくお願いします。
「自ら育つものを育たせようとする心 それが育ての心である 世の中にこんな楽しい心があろうか」
それは明るい世界である。暖かい世界である。育つものと育てるものが、お互いの結びつきに施して相楽しんでいる心である。
大正時代から昭和中期にかけて活躍した教育家に、倉橋惣三という方がいらっしゃいました。その頃の日本社会では乳幼児期の育ちが、いかに大切か? ということが、まだ十分に理解されていませんでした。そんな社会にあって、大正、昭和初期から幼児教育の重要性を説いていたの方です。
子どもに必要なもの・・『遊び』『生活』
ここ数年ですよ。
『幼児教育すごく大事』と大々的に世界で言い始めたの・・・。
でも、日本では、ずっと昔から非認知能力って大事にされてきていたとかもしれないな・・・と今、この本を読み直して感じています。
『育ての心』から紡ぎ出される言葉が、実に深い。
そして、今まさに必要な学びではないか??と感じてます。
って言っても、書いてある文章が今みたいに優しくないので、私の頭では少し読むの難解です。
でもでも、その中でもシェアしたい文章が見つかったので、今日は、それをnoteします。
『おかぁさんも、おめでとう』
「この度は、おめでとうございます。お二人のご誕生まことにこの上なきことです」というと、どの産婦さんも変な顔をする。
倉橋惣三は、子どもが生まれた時、もう一人新たに誕生する『母』という存在がある。それは、何よりも嬉しいことだと言ってます。
世間では、母が子どもを産むと平気でいうが、これほど理論の巡が間違ってる言い方はない。〜中略〜
我が子を抱いて初めて母の体験が始まる。その事実上の順序だけの話である。しかも、そこにこそ、母ということのふあき意味がありというものではあるまいか。
そして、子ども同様母親も成長していく存在で、初めから完璧ではないんだよ。
と言ってます。一緒に育つもの。
なんて、優しい文章なんだろう。と思うのです。
先日、今から死んでしまうけど一つだけ持っていける記憶があるとすれば、どの記憶??
という質問を仲間内でしあっていたんですね。
そしたら・・・おかぁさんたちは、口を揃えて、「子どもを産んだ時」っていうんですよ。
まさに、もう一度そこで『自分』も産まれているんだろうなって、この文章と重なる部分がありました。
おかぁさん・・・以前もnoteに書いたのですが・・・
もう遠慮入りませんからね。女性から始めましょう。
『大切なものを大切にしたい』その想いは、紛れもなく真実です。
成長といえば我が子の問題ばかり考えているが、それと同時に、母にも自分のこと、自分の問題である。これを本当の喜びとし、自分の心得として考えているもののみが、真に母として、自分を大切にしている人、大切にすることのできる人なのでsる、同時に母としての幸福に真にひたっている人である。
そうです。目覚めることができるのが母親。
自信を持っていきましょう。っていうか、持ってください。
ともに育っていきましょう。
子どもに自ら育ちたい気落ちがあるように、私たちにもあるはずです。
『相楽しんでいる心』思い出していきたいですね。
保育現場でも、スタートは何よりも子どもと楽しさを共振させる時間です。
まだまだシェアしたい文章だらけですが、今日はこの辺で。
もっと勉強していきたいなとnoteを書いていて思いました。
本当にあたたかな文章に触れて、『子どもの世界』に温かなまなざしを送り続けよう と思いました。
新しい朝は、希望の朝。
未来を信じる心。忘れずにいきたいです。
国敗れて、一番気の毒なのは子どもである。がまた、一番希望を持たせてくれるのも子ども。
その時代でも子どもへの希望を見逃さない。私たち大人ができることを、精一杯やっていきたいですね。
いってらっしゃーい。また明日。