『食事』を欲を満たす道具だけにしたくない
と急に思ってから、5日。
それはすごく難しくて・・・
だって、「お腹すいたなぁー」「塩辛い物たべたいなー」「あまいものたべたいなー」って仕事のほっとした時間に思い始めるのです。
これって『欲』ですよね。
これを満たすために『食事』をしたら、言ってることやってること違うのでは?
とかんがえたですが、そんなのはバカでもわかる。
無理なこと。
だって、人が生きる ということは、『欲』が密接に関係してるからです。
なので、私が急におもった
『食事』を欲を満たす道具だけにしたくない
とおもったのは
本当に食べたい物をできるだけ自然に近い状態で。
そして信頼できる人の手を通して作られたものをたべたい。
ということなのかな??うーん?どうだろう??
そんなことを考えながら、レジでぼーっと夕陽をみてたら母から電話があり
「おでんつくりすぎちゃったからたべてほしいの」
とのこと。
もちろん、夕ご飯に呼ばれたのですが・・・・食べながらすごく元気になっていくのがわかったのです。
そして食事って、本来こういう感覚になるものなんだろうなっておもったのです。
その根本は、生まれてからの食事経験がベースになるでしょう。
わたしの母は料理が好きでしたから、毎食2時間くらいかけて食事の準備をしてくれました。それは、きっと専業主婦の母だったからできること。
誰かを思い食事を作る。
ひとりひとり自分自身を思って今日1日を過ごした(すごす、すごしている)自分自身に最適なお食事を準備してあげることができたら、
『食』から世界はかわっていくんだろうな。
(それは、作るだけではなく選ぶこと(買う)ことも含まれます。)
という壮大なことを急に思ってしまったので、今日ここにnoteしました。
まず、わたしが楽しく実験していく。
「食事」は生きる人がいきる上での土台ですが、こんな壮大で大きなことを思ったことはなかったので、どうなっていくか楽しみです。
保育士のわたしは、「子どもにやさしい世界は大人にもやさしい」
ってずっとおもってきていました。
ヨガのインストラクターのわたしは、「自分との対話の時間は最高の癒し時間」
っておもってきました。
そして、お弁当屋のわたしは・・・・・どんなモットーを手にいれるのだろうか??
食事は、『欲』をみたすものにしたくない。だから※△%□…
のほにゃらら(※△%□…)が見つけられたら、とてもとてもうれしいです。
それに向かう途中で、もっとおおきな発見があるかもしれませんので、結構大きなたのしみです。
新しい朝は、希望の朝。
今日もすばらしい1日へいってらっしゃーい。
また明日!!