0歳児が教えてくれること
「振り返り」というnoteで保育士を少し振り返った。高校3年で今の職場に関わり出して、19年になるんだな。と思うと、怖くなる。
年数ばかり重ねてきてしまい。まだまだ学びたいことが多すぎる。
今年、0歳児の担任をもって、『生きる』・・・食べる 寝る 遊ぶ。
私たちにとって当たり前にできるのことは、できるまで「よろこび」「葛藤」などいろいろな感情が挟まれながら、できるようになっている。それを、0歳児はゆっくりだからだこそ、感じるさせてくれるような気がする。
例えば、歩くためには、発達の順があって。急に歩けるわけではない。
歩きたい原動力は、どこから??と思った時。
あれが欲しい。あの人のところへ行きたい
という願いがあるのだろう。
例えば。。。。(私の想像が含まれます)
大好きなあの人は、寝ていてるとき泣いたらきてくれる。でも、首が動かせれば、いつも見ることができる。(こんな顔なのね。うん。好きな顔!いっぱいみよう。じーーーー。)
寝返りを打てば、全身見える。(私の大好きの人は、全身も素敵。今日はこんな服なのね。)
ずり這いをすれば、足元まで近づける。(近づけるって嬉しい、でも、これじゃ物足りない。あれ??近づいても足しか見えない。)
座れば、両手で抱っこして!と言える。(手が自由になったの。私の気持ちを受け取って。抱っこされるのが大好き)
ハイハイすれば、もっと早く行ける。(どんどん行きたいところ行くぞ〜!!)
立つことができれば、膝に抱きつくことができる。(このままくっついて、一緒に移動できちゃう??あれ、できないの〜。くっついていたのに。)
そして、歩きことができれば、会いたい時に、あなたの場所までいける。(見つけた!!ぎゅっ。あなたに会いたかったよ)
なんで、大好きなあの人のところへ行きたいの??
だって、いつもそこで微笑んでくれる。がんばろうとすると応援してくれる。そして、できたときは一緒に喜んでくれる。
いろいろ興味が出てきてあちこち行っちゃう私だけど、大好きなあなたがいるから。振り返った時、見ててくれるあなたがいるから、もう少し遠くへ。新しい世界を見に行ってくるね。
という感じなのかなって。
歩くこと。もっというなれば、目線をかえることひとつとっても理由があるのだな。と想像するだけで、素晴らしい。大切なことを教えてくれるような気がする。
それは、私たち大人の当たり前も。無意識にやれてしまうあれこれも、スピードが早いから感じにくいけど、全部「願い」があるということ。
きっとそれは、覚えていないけど、あの時感じた。「願い」が始まり。
実は、たくさん願いを叶えてる存在なのです。
一歩は、大きくなくていい。
願いを知ること、自覚することも大きな一歩になるのだろう。
だって、それは、唯一無二である掛け替えのないあなたが、願ったことだから。
今日も、あなたは最高な存在!!
いってらっしゃ〜い。
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