われらの狂気を生き延びる道を教えよ(大江健三郎、新潮文庫)
私は作家の「初期短編集」が好きだ。
「初期」の作家の、野心に溢れた、無骨で、才気走っていて、どこか未完成な、そんな短編が私は好きだ。
今回取り上げたいのは大江健三郎の「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」である。
読み始めていただくと分かるのだが、どの話もタイトルが少し変わっている。
中でも私が好きな話は、
「生贄男は必要か」
「狩猟で暮らしたわれらの先祖」
である。
私は基本的に楽観的な人間である。世も末だ、と嘆くこともしない。淡々と生きていくだけだ。
しかし、現代はやはり人間が本質的に内包している狂気が、発露している時代であるように思える。そう言わざるを得ないような事が起きている。
本書にある物語の数々は、どれも狂気を帯びている。
さきほど挙げた「狩猟で暮らしたわれらの先祖」においては、とある町に、狩猟で暮らす一家が住み着くようになる。市井の人々は、突然現れたその異形な一家を、どこか恐怖し、そして、黙殺する。
平凡な日常に入り込む「狂気」。
私たちは、少なくとも私は、その現場に居合わせると、目を背ける。あるいは、無視し、足早に通り過ぎる。
時代は狂気に満ちている。
ロシアによるウクライナ侵攻、元内閣総理大臣の殺害、カルトの跋扈、時代を遡れば、連合赤軍事件…。
これらは、繰り返してはならない惨禍だ。
しかし、私に何が出来るというのか。
小説の話に戻る。
短編フェチの私にとって、本書は少し特別な存在である。
若き日の大江健三郎が、あらんかぎりの文学的な実験を本書で施していると思う。
新潮文庫から発刊されているので、ご関心があれば是非、手に取って頂きたい。
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