「ピチカートファイブ」の魅力。
ピチカートファイブの楽曲の高い音楽性と芸術性を語りたい。
1.「きみみたいにきれいな女の子」
イントロの野宮真貴さんの声と、ベース音のリズム、そこから管楽器が入ってきて、淡々と進行する雰囲気が良い。
情景が思い浮かぶような歌詞。
ところでこの曲で歌われる「きれいな女の子」とはどのような女の子だろうか。
勝手なイメージだが、「一人で、黙々と旅をしている女の子」という女性像が思い浮かぶ。
いつも、てきぱきと、荷物をバッグに詰め込んで、言葉少なに、列車で旅をするような。
そんな、凛然とした生き方を雰囲気としてまとっている“女の子“は、おのずと「きれい」になっていくのではないか。
ゆえに、この曲は「あなたほど、芯の強い“きれいな“女の子が、泣くなんて一体、何があったの?(泣くことなどなにもないのに)」という反語的な意味を含んでいる。
そうやって考えると、この曲は、古来の和歌とその返歌を見るような関係性すら浮かび上がってくる。
2.優しい木曜日
とても幻想的な一曲。
初夏の強い風が吹き抜けて、さらさらと木々の葉が揺れている音まで聞こえるような強いイメージを喚起する。
お決まりの恋に落ちるの♪からの「間奏」が、逢瀬を示唆しているようである。
(ビートルズの“ノルウェイの森“の気だるい間奏が、情事を表現している、という説があるように。)
ただどこか哀しみを帯びる束の間の幸福が、いつか終わることを二人は気づいているのかもしれない。
その感性は、「ハッピーサッド」にも表現されている気がする。
3.東京は夜の七時
繰り返すリフにのる「東京は夜の七時」の歌詞がとても印象的な一曲。
初めて聴いたのは、CDのレンタル屋さんだった気がする。
「こんなにお洒落な曲を歌うのは誰だろう」と思い、店員さんに聴いてみたい気すらしたものだ。
「東京は夜の七時」。
ピチカートファイブは、この言葉に、言霊を与えた。
場所は「東京」でなくてはならないし、時間は「夜の七時」でなくてはならない。
(6時だと早すぎるし、8時だと遅すぎる。)