トライオキシン245


登場人物
父…沢渡 稔
娘…沢渡 歩
男…成原公平
妹…成原りりえ

 下手側に押し入れ
 その中でウクレレをかき鳴らしている父

父  (ウクレレで)ジャンジャンジャーン、ジャジャジャン、
   ジャンジャンジャーン…※ラジオDJ的なアナウンス

 娘が押し入れをノックする。

娘  父さん!父さん!おい親父
父  入ってます
娘 知ってるよ!ちょっと、うるさい!そのジャカジャカするのやめて。
  近所迷惑でしょう!
父 迷惑だと思う近所がどこにある?
  こんな田舎の郊外で、車だって通りやしないんだぞ今時。
娘  私が迷惑なの!いい加減にしないと力尽くで…
   鍵かけやがった!
父  甘いな!俺のプライベート空間をそう簡単に侵害できると思ったら
  大間違いだ!
娘 押し入れに内側から鍵とか頭おかしいんじゃないの?
  何で自分の家でこんな苦労を…
父 おーっとっととぉ、おぜうさん。ちょっと聞き捨てならないね。
  今さっき、「近所迷惑なのー!わたしがあ!」って
  おっしゃったじゃありませんか。
  ってことは俺とおぜうさんはご近所って扱いになるので、
  今あんたがやってることは不法侵入未遂だ!
娘  ……ごめん、何言ってるかわかんない。
父 俺に論破されてぐうの音もでないようだな。
娘 わかんないよ!わかろうとする、そぶりさえ見せないよ!
父 うるさいな。人が集中してるのにぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん。
  そんなに俺のクリエイションをじゃましたいのか。
娘  押し入れに引きこもってる父親が深夜ギターかき鳴らすなんて、
  精神的に耐えられないっつってんの!
父 引きこもってませんー!閉じこもってるんですぅ!
娘 こんなのが父親とか泣けてくるわ。
父 だったら良い案があるぞ!ハイ!
娘 あん?
父 挙手したんだから当てろよ。
娘 見えねーよ!
父 私こと沢渡稔はー、本日より、沢渡歩の父をー、卒業します!
 (大勢の体)卒業します!
娘 はあ?

 父 ウクレレと口で卒業式の曲を流す。

父  ♪あーおーいーろー、と、きーいろー、まーぜーたらー、あーかー!
  楽しかった?運動会!(大勢の体)運動会!!
  美人だった、担任の国村先生。国村先生!
  …俺があと一〇年若かったら…
娘 なにラリパッパなこと言ってんの!ねえ父さん。
父 俺は今日からあなたのお父さんではありません。
娘 じゃあ何?ペット?犬?
父 その扱いはどうかと思うぞ。
娘 ねえ、いい加減押し入れから出てきなさいよ。
  いつまで引きこもってるつもりなの?
父 だから閉じこもってるんですぅ!
  だいたい、昼間の内にはちゃんと外に出て飯もうんこもしてるんだから
  良いだろうがよ。
  それにな、ここは押し入れであって押し入れではない。
  ここは俺のプライベートスタジオなのだ!
娘 何の? まだくだらない配信とかやってんの?誰も聞いてないのに。
父 そんなことはない!俺のこの魂の叫びが、きっと世界の誰かに届く!
娘 五〇にもなって配信者とか恥ずかしいよ。
父 あのな、俺の配信は単なるおまけなんだ。
  俺の最終目的は、(ウクレレをかき鳴らす)世界に羽ばたく、
  ロケンローラーさ!
娘 あーあ、始まった。
父 なーんだそのあーあって。
娘 中学生じゃあるまいし、何 起きたまま夢見てんのよ。
父 バカ言うな。俺は本気で世界を変える音楽を、平和のために叫ぶのさ。
娘 ウクレレで?。
父 ん?
娘 せめてギターかベースだろ。
父 あのな、世の中にギターとベースがうまいヤツなんて、
  ごまんと居るわけだ。とろろが、ウクレレでロックをやるヤツは、
  この俺が世界初のはずだ!
娘 そんな軽い音のロックがあるか
父 馬鹿野郎、俺自身が楽器、俺自身がロック。
  機材や環境なんか関係ない!
  だいたいウクレレならコード三つ覚えるだけで、
  どんな曲でも弾けるんだぞ?
娘 へー、どん曲でも
父 任せろ。オーディエンスのどんな要求にも応える。
  それが真のロッケンローラーだ
娘 あ、じゃあリクエスト良いですか。
父 ハイどうぞ。
娘 ルパン三世の。
父 ルパン三世!
娘 不二子ちゃんで、
父 で?
娘 銭形を呼んでください。
父 ……ん?えっと、ルパン三世のテーマとかでは
娘 ない
父 不二子ちゃんのテーマとかあった?
娘 ない
父 で、銭形を、呼ぶ
娘 とっつぁんで

 父は試行錯誤しながらウクレレを弾く。
 出来は不明。

娘 あのね父さん。大事な話があるの
父 お、結婚か?
娘 違うよ
父 じゃあ離婚か?
娘 何でだよ。
父 娘が父親に報告する事なんてその二つしか無いだろ
娘 まあ、紹介したい人が居るのは合ってるけど。
父 おおおおお、何何々、この雰囲気だけで解っちゃうこの感じ。
娘 だから、父さんに紹介するには父さんが出てきてくれなきゃ困るの
父 そんなことはない。しっかり腹を割って話せばわかり合える。
  目を見ればどんな相手か解る。
娘 見られないでしょうが。あのね、今日来てもらってるの。
父 え? そんな! 急に!
娘 入って。

 娘に促されて、娘の交際相手が踊りながら入ってくる。
 
男 こんにちはお父様。いや、まだお父様と呼ぶには早すぎますね。
  パパ?ダディ?どちらにせよ初めまして!
  ワタクシこの春から歩さんとおつきあいさせていただいております
  成原公平と申します!
  あ、おつきあいと申し上げましたが、
  ワタクシこう見えても古風な性格なので、
  大事な歩さんに簡単に手を出すようなことはしておりません!ので、
  ご安心ください。歩さんは僕の天使という名のエンジェルです。
父 はあ、それはどうも
男 僕と歩さんの出会いはゲームのオフ会でした。
  私鉄駅から徒歩五分の居酒屋で集まった二八人のうちの一人、
  今でもはっきり覚えています。当時歩さんは髪の毛から爪のネイルまで
  全身ピンク!一目見たときこう思いました。 「あ、人間じゃねえ!」
娘 (照れる)あれは推しキャラのコスプレで
男 はじめはビビりましたが話してみれば意気投合!
  むしろ派手な見た目と裏腹な奥に隠された純真さに撃ち抜かれました。
  居酒屋の内装と食事メニューの茶色い色彩の中に映える
  ピンク色のバラ。
  それが歩さんジャスト・ドゥ・イット!私のKO負けです。
  ゾッコン・ラヴです。
娘 公平さんたら大げさなんだから
男 歩さん、出会ってくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう!
  そしてそんな歩さんを育ててくれたお父様、
  いや稔さんを愛しています!
父 (ウクレレで音色を弾く)業務連絡、業務連絡。
  歩さん? もそっとこっちへ。

 娘は押入れのふすまに近づく。

娘 なーにお父さん。
父 この珍しい生き物はどなたかな?
娘 だから、紹介したい人。私の…彼ピです!きゃ、言っちゃった!
父 そーかそーか、なかなかのイケメンじゃないか。多分。
  幸せになったらいいんじゃないかー。
娘 ちょっと、きちんと紹介したいから出てきて挨拶してよ!
男 私も歩さんから話はなんとなーく伺っております。
  お父様が…あ、ここでいうお父様というのは、
  歩さんにとってのお父様という意味であって、
  一足早くお父様のことをお父様と呼んでいるわけではありません。
  稔さん、どうか歩さんとの結婚を前提にしたお付き合いを
  お認めください。
父 はいどうぞ
娘 はいどうぞって、
  もうちょっと反対するとか否定するとか殴るとか蹴るとか無いの?
男 すんなりOKのルートはないのだね歩さん。
父 学生じゃあるまいし、大人なんだからプライベートなことは
  本人に任せています。
娘 相手の仕事とか年収とか家族関係とか、
  土地をどのくらい持ってるとか、資産とか気にならないの?
父 お前本当に公平くん?のこと好きなのか?
男 ワタクシ、法廷画家をしておりまして。

 男は大きめのスケッチブックを取り出す。

父 法廷画家…っていうと、ニュースとかに出てくる?
男 はい、結構大きな裁判も担当させていただいたんです。

 男はスケッチブックを開いて、いくつか絵を見せる。

父 立派なご職業じゃないですか。うちの娘にはもったいない。
  あ、違う。私は彼女の父親を卒業しましたので、
  どうぞ末永くお幸せに。
娘 そんな。お父さんひどいよ。
父 勘違いするな。俺はお前を一人の女性として扱っている、
  たとえ親子でなくなったとしてもだな、
  お前の幸せを心から願っているよ。
男 差し出がましいですがお父さん。いや稔さん。
  あなたが歩さんとの交際を認めてくださるのはうれしいですが、
  卒業前に、最後に父親としてのお顔を見せていただきたいのです。
  どうして、その…押し入れから出てこられないのですか?
父 ここが一番落ち着くからです。外はなんだかんだで危険なもので。
娘 お父さんはね、くだらない陰謀論を信じてるの。
  だから押し入れはシェルターなんだって。
男 陰謀論?外が危険とはどういうことですか?
父 聞かせてあげよう。ちょっとこっちへ
男 なんというか、ふすまを相手に話すのはどうも。
父 画家なんでしょ?適当に似顔でも書いて貼り付けたらいいんじゃない?

 男はスケッチブックに絵を書いて娘に見せる

男 こんな感じ?
娘 目が二つ、鼻と口が一つ。
父 切れ長の目に大きめの黒目、厚い唇に面長の顔。
  鼻筋が通っていてシャープなあごで頼む。
男 (描きながら)普段描いている絵柄と違いすぎてどうも。
娘 その特徴じゃ別人だよ。いいよもう…

 娘はスケッチブックをパラパラ見て、一枚破る。
 男性の顔が描かれている。

男 あ
娘 これでいいよ。似てる。なんの人?
男 えーと、小学校の体操着を盗んだ泥棒だね。
娘 バッチリ
父 ちょっといいか
娘 じゃあ、今日からこれがお父さんということで

 娘はふすまに絵を張り付ける。

男 お父さん…いや稔さん。続きをどうぞ。
父 …君は、トライオキシン245というのを知っているか
男 トラ?
父 ゾンビは知ってるか?
男 ゾンビって、あのバイオなんとかハザードに出てくるやつですか?
父 そうだ。一九六八年に公開された映画
  「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」が原点だ、
  ゾンビというのはブードゥー教での名前がもとで、
  本来は「リビングデッド」つまり生きる死体だ。
男 僕も映画は大好きですからね。
父 あの映画は、実は実話だったと言ったら?
男 …駄洒落ですか?
父 違うよ。自分で言ってびっくりしたわ。映画じゃゾンビが出た理由は
  はっきりしなかったが、本当はある生物兵器が原因だ。
男 生物兵器?
父 アメリカはピッツバーグのダロウ製薬という会社が、
  軍と共同で開発した、不死身の人間を作る薬品だ。
  もともとはドイツが戦争中に研究していたものを流用してな。
  ところがどういうわけか、それが漏れ出して人を次々と
  なまぬるいゾンビに変えていった。
男 生ぬるいゾンビ?
父 映画のゾンビは思考能力が無くなって、動きも鈍い。
  脳みそを破壊すると完全に死亡する…
  まあ元々死んでるわけだから正しくはないが。
  だが実際は、走るし喋るし、絶対死なない。厄介な連中だ。
男 それがゾンビのモデルだと?
父 結局、政府が粛清して隠したのさ。
  しかし肝心のトライオキシン245は、空中に巻き上げられた後
  雨に流されて土壌を、海を汚染した。
  その効果が今ゆっくりとこの国にも表れてきているんだ。
娘 お父さんに言わせると、周りの人間はみんなゾンビになったんだって。
男 またまた御冗談を。そんなことになってないって、
  外を見ればすぐにわかりますよ。
父 生ぬるいゾンビどもは見た目も生活も普通の人間とあまり変わらない。  
  だが…

 そこへ、公平の妹が飛び込んでくる。

妹 ちょっと待とうじゃないですか!お兄様!
男 りりえ!お前どうしてここに!
妹 お取込み中のところ失礼します。
父 なんだ?なんだ?また誰か来たのか?
男 ワタクシの妹のりりえです。
妹 どうも、成原りりえと申します。
父 ラ行が多いね。
娘 りりちゃん。今日はちょっと。
男 そうだ、今大事なお話し中なんだぞ。
妹 いいえ、今日ははっきり申し上げますわお兄様。
  りりえはお二人の交際には反対です。
父 ちょっとまて、君らいくつなんだ?
娘 お願いりりちゃん。私たちは愛し合っているの。
妹 いいえ、私のほうがずっとずっとずーっとお兄様のそばにいて、
  私のほうが何倍もお兄様のことを愛しているのです。
  これまでもお兄様に悪い虫がつかないように徹底的に
  排除してきたというのに。
父 排除ってあんた。
男 まさか、ヨシエさんがあんなことになったのは!
妹 許してお兄様。あの女はお兄様にはふさわしくなかったの!
娘 ヨシエって誰?あんなことって何?
男 違うんだ歩さん、君に出会うずっと以前に関わりがあった女性だ。

 男は拡声器を取り出す。
 スポットライト。

男 ワタクシとヨシエさんは確かに将来を誓い合った。
  あの時はそう信じていた。
  ところがヨシエさんは日本平動物園に行くといったまま姿を消した。
  後日、ラインで一言
  「人間でいることに疲れました。これからは動物として生きます」…と
  彼女は人間用の檻に閉じこもってしまったああああ!
  そして…そしてえ!
妹 さあ、そこの女!あなたも人間でいたかったら
  お兄様から手を引きなさい!
娘 いやよ!私たちは…わたしたちは………
妹 (小声で)運命の出会いを…
娘 あ、運命の出会いを果たしたのよ!だから…
妹 (小声で)誰も私たちを…
娘 誰も私たちを…ごめん、ちょっと待って

 娘は折りたたんだメモのような物を取り出して読む。

娘 えーと、ごめん台本読んでいい?どうせ見えてないんだし。
父 台本ってなんだ。
残り なんでそれを!
父 えーとね…超能力?
妹 (煙草を吹かす)バレちゃしょうがないか。ごめんなさい。
男 実は歩さんから相談されて、
  何とかお父さんを外に連れ出せないかって。
  それで、天の岩戸作戦をやってみたわけです。
父 なんでうまくいくと思ったかな。
娘 ごめんなさい、私がセリフちゃんと覚えてれば。
妹 しょうがないよ、時間なかったし。
  あ、私 演劇やってて、この作戦を考えたんです。
  劇団メックソ・ハークソに所属してる成原りりえです。
父 あーそうなんですか、私演劇とか疎いんでお宅の劇団は
  存じ上げませんけど絶対面白くなさそうですね。
  で、どこまでが本当なんだ?
娘 大体本当だよ。りりえは私のバイト友達で、紹介で公平さんと。
  ねえ父さん、一度顔を合わせて話そうよ。
  それとも…私もそのゾンビだっていうの?
父 トライオキシンの効果は半世紀以上かけてゆっくり浸透した。
  お前らはこうやって普通に話すこともできるし感情も持ってるように
  見える。
  だが活動できるのは夜だけ、昼間は動くことができない。
  だから俺は夜はここにいるし、昼は外へ出ていける。
  だから心配するな。
娘 私は、お父さんを一人にするのが怖いの。ねえ、一緒に行こうよ。
父 俺にはまだやることがある。まだそっちには行けない。
男 そんな難しいこと言わないで、僕らと一緒に踊りませんか?
父 踊らされていることに気づかないまま、垂れ流される情報を信じて、
  自分で考える力をなくす…。トライオキシンは姿を変えて、
  世界中にお前たちみたいな生ぬるいゾンビを増やした。
娘 それならそれでもいいじゃない。私たちは十分幸せだよ?
男 ワタクシが歩さんを愛する気持ちに嘘はありません!
妹 兄は、正直な人なんです。
父 わかってるよ。そっちの世界の生活はそっちでやってくれ。
  歩。達者でな。父さんもお前のことを思ってるよ。

 男・娘・妹は何やら打ち合わせを行う。

妹 お父様、いえ稔さん。初対面ですけど、
  わたしお父様に恋しちゃいました!
父 は?
妹 ねえ歩、あなたばっかりお兄様も稔さんも独り占めなんてずるいぃ。
男 なんてことだ。もしもりりえが稔さんと一緒になると、
  りりえはワタクシの妹 および お義母さんになるのか!
娘 じゃあ、私のお母さん かつ 妹ね!
妹 素敵だわ。よろしくね お姉ちゃんであり娘!
父 ごめんなさい、ちょっとついてけないんだけど、
  だいたい…りりえさん?あんた俺の顔見えてないでしょ?
娘 似顔絵ならそこに(ふすまを示す)。
妹 まあ、なんて見目麗しい。もろにタイプ!
父 それ体操着泥棒だよな。
娘 そうだよ、本当のお父さんは、こんな感じ。

 娘は男のスケッチブックを妹とのぞき込む。

男 (描きながら)鼻筋が通ってて、切れ長の目。シャーブなあご…!
妹 なんだ、全然素敵な人じゃない!

 男がスケッチブックを掲げて公開する。
 そこには、およそ人間とは思えない、グチャグチャな落書きが
 描かれている。

娘 ほんとダ。そッくり おトウさんに
妹 ねえ みノルさん ますますスキになっチャッた
男 わたくしの自信作です。ゼヒ見てもらいタイナア

 町中をサイレンの音が包む。
 それに反応する一同。

父 夜明けだ…

 娘・男・妹は生気をなくしたようにうなだれて、外へ出ていく。
 娘は去り際に押し入れのほうを振り返る。

父 歩…俺もいつかはそっちに行くよ…。今じゃないけど、いつか…
  達者でな。
歩 ウン

 娘も出ていく

父 さて、今日の放送はここまでだ。明日も同じ時間にお届けするぜ。
  誰かに…誰かに届いていると信じて。

 父はウクレレでオープニングと同じリズムを弾く。
 その音はやがて「S・O・S」を示すモールス信号に変わっていく。

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