主人と谷川岳に登った。あいにく霧が濃く見晴らしはあまり良く なかった。 でもロープウエイの終点、天神平から山頂に到るまでの山道は、 ニッコウキスゲから始まりイワカガミやユキワリソウなどの高山植物が かわいい花を咲かせているだけでなく、かなり起伏があり、木の根道や 砂利道、木道、階段、岩場、鎖場など変化に富んで面白かった。 登りながら、ふと今までのことを振り返る瞬間があった。 3人の子どもたちの顔が浮かんでくる。 小さな時、お話が大好きだった長女。絵本を読んであげる
今日の草刈りはスギナ。畑一面にびっしり生えている。 根が深く、30cmくらいになるらしい。 その根から取らないと、またすぐに生えてきてしまうという。 だが、いざ掘ってみると、そんなに深く取るのはとても無理。 それに生えている数が半端ではない。 取りあえず、片端から引き抜くことにして、堆肥置場に運んでいく。 引っこ抜いているときは単調だが、まとめて堆肥置場に運んでいくときは案外楽しい。少しづつだが、スギナの山が大きくなっていくからだ。 これは永遠に続きそうだと思
わたしは書くことが好きだ わたしは写真が好きだ わたしは農が好きだ 好きを仕事にして、後悔をたくさんした。 好きでやっていたことが、 やらなければならない責任を負うことに変貌してしまって、 嫌いなわけではないが、それをやることにワクワクやウキウキを 失ってゆくことを感じるのだ。 けれども好きを仕事にして良かったこともたくさんある。 好きが高じて書くことの能力の高さを褒めてもらったり、 わたしの普段の会話では言い表しきれない思いを 書くことを通して伝えられるようになった
小さい頃、私のまわりには子どもたちが沢山いた。姉はもちろん、お向かいの団子屋や綿屋、洋裁店、隣の文具屋などのお店をはじめ、裏の家々の 子どもたちが沢山いて、群れをなして遊んでいた。 鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり、ゴムとび、お手玉、ビー玉、 パッタ(メンコ)など、近くの空き地で日が暮れるまで、遊びほうけていた。 しっかり者のガキ大将やお姉ちゃんがいて、ずーっと離れた川の土手に群れなす子どもたちを10人以上引き連れて歩いていった。土手の草叢をゴロゴロと転がり落ちたり
4年前、カウンセリングセンターで「逃げたぁぁい!」叫んだものだ。 ひきこもりを脱出して農家になると言って、ハッタリかまして、 約300坪、オリンピックの競技用プール50mよりひろい畑を 借りてしまったのだ。 借りてからと言うもの、どうしようが止まらない。 畑の脇で綺麗に咲く桜なんかきれいになんて見えない。 わたしを監視してるんじゃないかと言うくらい、大きな環境の変化に、 いや 変化させたことにおののき、叫んでいた。 「やることになっちゃった。どうしよう。 やるって言っ
路地裏をへこへこ歩く。 二泊目の箱根路は疲れてしまって どうも足がおぼつかない。 もはや、気合いも充電切れな、 しとしと日和。 コンクリートに打ちつける雨に かすかに腹の奥で苛立ちすら覚えながら入った鉄板焼き屋。 のれんの奥に店主と思しき眼鏡をかけた爺さんが新聞を置いて、 「いらっしゃぁい。雨どう?」 なんて出迎えてくれる。 上がり畳に3つの鉄板付きの卓が3卓、そしてカウンターの 小さな店屋。 「どこにでも!」 と景気良く言われたけれど、 遠慮して1番奥の卓は避けて、
旦那と2人、団体旅行で熊野古道を歩いた。 団体といっても参加者は6人。添乗員さんが1人、2泊3日の旅のはじめから終わりまでついていてくれる。 羽田から大阪の伊丹空港まではひとっ飛び。何故か大型バスでお出迎え。和歌山県田辺市に向かう。 古道ガイドは T さん。6~70代と思われるいかにも誠実そうな方だ。 初日は田辺市の主に「大辺路(おおへち)」とよばれる道を行く。 最初に案内されたのは、合気道の創始者、植芝盛平(うえしばもりへい)生誕の地だ。植芝盛平は、様々な武術
朝早く、畑のそばを流れる川の土手を、娘と二人でジョグしている。 空がとても広く、雲の間からオレンジの光が差している。畑には霜が下りて、すぐ脇の水路では水が凍っている。 一緒に走りながら、この子が、こんなロングを走るようになったのかと感慨にふける。 長女は足が速くて、そのうえ長い距離もきっちり走ることができた。次女は、どちらかというと長距離向き。今でも、一人で2時間くらいのロングをゆったり走ったりしているらしい。 一方、三女はスプリンタータイプで、足は速いのだが、突
図書館にある日行ったら、 目に入った群ようこさんの 「パンとスープとネコ日和」。 やさしいほわりとした小林聡美さんの横顔と ムッツリこちらを見ている、いや睨みつけている、もたいさんを思い出した。 わたしは、もたいさんがだいすきだ。 初めて観たのは「きらきらひかる」というドラマの死体役。 川であがった水死体のもたいさん。 見事な死体役だった。 全く正気が感じられない。青ざめたもたいさん。 強烈に印象に残っている。 次に観たのが、「パンとスープとネコ日和
イギリスとかチユーリップとかチーズとか、カタカナで表す言葉がある。 でも、これはちょっとどうかな。 <ヒト>、<モノ>、<カネ> マネジメントの三大要素で、 サラリーマンなら誰でも、どこかで聞いたことがあるだろう。 これを初めて本で見たとき思った。 何で、カタカナで書くんだろう。 特に<ヒト>に引っ掛かった。気持ちが悪かった。 こんな些細なことが気になってしまう自分が変人なのかも知れないが、 プラスチック? 人間をモノのように扱う経済。 人間って、そ
先日、夫婦で足利に行った。 主人は既に何回か訪れているのだが、 私は初めてである。 以前私が「いつか富士山に登りたい」 と言ったことを覚えていて、 主人が足馴らしに行こうと誘ってくれたのだ。 「そうだよね。足を鍛えなくちゃね。」 と、軽い気持ちで同意した。 旅立ちの朝は、夜中に降っていた雨はあがっていたが、まだどんより曇っていた。 しかし、足利につくころには、素晴らしい晴天に変わっていた。 登山靴に履き替えて、歩き出す。 足利の古い街並みを過ぎると、織姫神
玉ねぎの苗を、育てている。 もうすこしで植え付けられるまでに、 根が苗床で育ってきている。 関東では、セオリー通りに行けば 9月15日頃玉ねぎは種を蒔き、苗を育てる。 しかし、今年は種を蒔くのが 遅れてしまった。 玉ねぎ自体、蒔くかどうか悩んでいた。 わたしは、ネギとことごとく相性が悪い。 今まで、ネギ苗を育ててうまくいった試しがない。 ネギに対する苦手意識が 余計に作業へのとりかかりを遅らせた。 * しかし、10月、意を決して種を蒔いた。
40歳からランニングを始めて 30年続けているが、怪我はつきものである。 ふくらはぎの肉離れとか足底筋を痛めるとか。 大体、ひと月も休めば治るのだが、 今回は違った。 膝を痛めて、もう1年以上痛みがひかない。 ちょっとよくなったなと思っても、 すぐぶり返す。 整骨院に行ったり、 鍼の治療をしたりしても一向によくならない。 まわりも少しづつ引退していくし、 もう70歳、そろそろ潮時かなと思いながら、 ダメ元の気分で、もう一カ所、 新しい
うちの家族は仲良しだ。 時々激しく喧嘩をするが、 とてつもなく仲がいい。 と言っても、こんなに笑い合うようになったのは、恐らくわたしが農家になった3年前くらいからだろう。 そう、わたしは元ひきこもりオーガニック農家。 18歳から精神科にかかり、治療を余儀なくされたTHE 患者。 両親は、わたしが病気になった頃は忙しく、 夫婦仲も悪く冷戦状態。 三人娘の長女は進学と同時に、家を出て、 次女は荒れ、非行に走り、 わたしもとても不安定な時期を過ごした。 わたしが病気に
娘から次のテーマは、「ひらがなのちから」と申し渡されてから、かれこれ1週間以上経っている。 娘はあっという間に書き上げ、旦那はコツコツ書いて確実に締め切りに間に合わせている。 私はといえば、締め切り前日になっても書くことができないでいる。娘には「何で夏休みの宿題みたいなことやってんの!」と怒られる始末である。 そんなこと言ったって…… 「あんたみたいに、ちゃっちゃか書ける人と違うんだから…」 と言いたいような気がする。 「大体さぁ『ひらがな』って『力』ありましたっけ?」
旅先であった、ちょっとしたことを 短い文章にして娘に読んでもらったら、 「いいね、ほっこりする。ただ、この中身だったら、 文章の題の 『小さなこと』は、『ちいさなこと』 とひらがなに直した方がいいよ」 と言った。 ハッとした。 そこまで考えてなかった。 中身のことばかり考えて、 「小さな」ことを漢字で書くことについては 何も考えてなかった。 実は、文章の中身の方に不安があったのだ。 娘は精一杯生きている。 妻もそれを全身で支えて