
生きるコツ12月4日「ホリエモンの発言から考えるー有能と無能とグラデーション」
堀江貴文氏の下記の発言が気になってる。
上脇教授をマニア、犯罪者を有能な人と言うバ〇
— 125 (@siroiwannko1) October 5, 2024
ホリエモン「とある大学教授が裏金問題とか調べるの好きな人がいるわけですよ、マニアみたいな人、その人が告発したことが最初の発端…そういう人達が有能な政治家の方々の足を引っ張ってる、有能な人達の足を引っ張ってどうすんの?」#サンジャポ pic.twitter.com/T57Wa3m4OV
平たくいうと
「有能だけど悪徳な政治家は
無能で清廉潔白な政治家に勝る」と。
もちろん、堀江氏はそこまで言ってないが言外にそう感じる。
これで思い出すのはロッキード事件でわいろを受け取って逮捕された
田中角栄元首相だ。
日本列島改造論、日中友好の礎を作り、自分の地元に上越新幹線を作らせた人物だ。彼が稀有で優れた政治家である、という認識はある。
堀江氏の言葉に一理あるなとは昔から思ってる。
中学生時代に習った江戸時代中期の話のせいだろう。
「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」
江戸中期、白河侯松平定信が行なった「寛政の改革」がわずか6年で幕を閉じたのは、民衆による強い反発によるものだった。厳しい財政改革が経済を停滞させ、文化も廃れさせたことが原因だった。たとえ腐敗政治だったとしても、生活も豊かで文化も花開いた以前の華やかな「田沼時代」が恋しいと、失脚した老中田沼意次を民衆は懐かしんだのだ。そのときに生まれた歌がこれだ。寛政の改革と田沼の腐敗政治をくらべて風刺した狂歌である。
人間の不条理だけど、多少の悪は必要なのかと思うエピソードだ。
でもう一つ。
僕の師匠でもあるテリー伊藤さんだ。
若い頃の伝説的なエピソードは山のように聞いた。
常磐自動車道でカーレースをやったり、
田中角栄のそっくりさんを連れて国会に
どこまで侵入できるかやってみたり、
ヒッピーをヤッピーに!では浮浪者を捕まえ、キレイにコーディネイトしたり。
コンプライアンスに引っかかる内容はもちろんだが
部下と一緒にエレベーターに乗っていると
突然、Tシャツを破り「どうだ!面白いだろう?〇〇」と叫ぶ。
ある時は「俺仲人、やりたいんだよ。誰か結婚しろよ」と言い出す。
面白さのためなら手段を選ばない。
それが伊藤さんでもある。
僕は伊藤さんが好きで伊藤さんの制作会社ロコモーションで放送作家をやったのだが、僕自身伊藤さんから怒鳴られたり、殴られたことは一度もない。
問題は伊藤さんの部下であり、僕からすると上司にあたる人の存在だった。伊藤さんの悪い部分だけをより濃くした人もいることだ。
伊藤さんはどこは「笑いのためならなんでもやる」という追求者なのだが、「それって単にいじめじゃないの?」という思うこともないわけではない。
で「伊藤さんは有能で現場の人間にプレッシャーをかけながらいい番組を作る。逆に無能で現場には緩い空気がながらつまらない番組を作る」と当てはめると僕が伊藤さんの下につけて良かった。無能な人の下では働きたくないのだ。でもだ、有能と無能の2極にはグラデーションがある。
先の堀江氏の発言には一理あると思ってる、でもそれを認めるとどこまでの悪を認めるんだろうと思う。裁判の判例じゃないけど、あれを一つ認めると他も認めざるを得なくなるものだ。何を以て有能なのだろうか?その辺の線引きって難しい。
たぶん、明確なルールってないのかもしれない。
芸能人の不倫問題のように。
「社会が許すかどうか?」
本来、選挙ってのはある種の禊的な役割があるものだ。
過ちを犯したけど、あの人は反省をしてるし有能だからと
社会が判断する。
でも判断材料の情報が間違ってるとしたら?
「それ、聞いてたら許してないわ!」ってなるんじゃないかな。
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