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生きるコツ12月4日「ホリエモンの発言から考えるー有能と無能とグラデーション」

 堀江貴文氏の下記の発言が気になってる。

 平たくいうと

 「有能だけど悪徳な政治家は
  無能で清廉潔白な政治家に勝る」
と。

 もちろん、堀江氏はそこまで言ってないが言外にそう感じる。
 これで思い出すのはロッキード事件でわいろを受け取って逮捕された
 田中角栄元首相だ。
 
 日本列島改造論、日中友好の礎を作り、自分の地元に上越新幹線を作らせた人物だ。彼が稀有で優れた政治家である、という認識はある。
 
 堀江氏の言葉に一理あるなとは昔から思ってる。
 中学生時代に習った江戸時代中期の話のせいだろう。

「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

江戸中期、白河侯松平定信が行なった「寛政の改革」がわずか6年で幕を閉じたのは、民衆による強い反発によるものだった。厳しい財政改革が経済を停滞させ、文化も廃れさせたことが原因だった。たとえ腐敗政治だったとしても、生活も豊かで文化も花開いた以前の華やかな「田沼時代」が恋しいと、失脚した老中田沼意次を民衆は懐かしんだのだ。そのときに生まれた歌がこれだ。寛政の改革と田沼の腐敗政治をくらべて風刺した狂歌である。

CHINOMAより

 人間の不条理だけど、多少の悪は必要なのかと思うエピソードだ。
 でもう一つ。
 僕の師匠でもあるテリー伊藤さんだ。
 若い頃の伝説的なエピソードは山のように聞いた。
 常磐自動車道でカーレースをやったり、
 田中角栄のそっくりさんを連れて国会に
 どこまで侵入できるかやってみたり、
 ヒッピーをヤッピーに!では浮浪者を捕まえ、キレイにコーディネイトしたり。
 コンプライアンスに引っかかる内容はもちろんだが

 部下と一緒にエレベーターに乗っていると
 突然、Tシャツを破り「どうだ!面白いだろう?〇〇」と叫ぶ。
 ある時は「俺仲人、やりたいんだよ。誰か結婚しろよ」と言い出す。
 面白さのためなら手段を選ばない。
 それが伊藤さんでもある。

 僕は伊藤さんが好きで伊藤さんの制作会社ロコモーションで放送作家をやったのだが、僕自身伊藤さんから怒鳴られたり、殴られたことは一度もない。
 問題は伊藤さんの部下であり、僕からすると上司にあたる人の存在だった。伊藤さんの悪い部分だけをより濃くした人もいることだ。
 伊藤さんはどこは「笑いのためならなんでもやる」という追求者なのだが、「それって単にいじめじゃないの?」という思うこともないわけではない。

 で「伊藤さんは有能で現場の人間にプレッシャーをかけながらいい番組を作る。逆に無能で現場には緩い空気がながらつまらない番組を作る」と当てはめると僕が伊藤さんの下につけて良かった。無能な人の下では働きたくないのだ。でもだ、有能と無能の2極にはグラデーションがある。

 先の堀江氏の発言には一理あると思ってる、でもそれを認めるとどこまでの悪を認めるんだろうと思う。裁判の判例じゃないけど、あれを一つ認めると他も認めざるを得なくなるものだ。何を以て有能なのだろうか?その辺の線引きって難しい。
 
 たぶん、明確なルールってないのかもしれない。
 芸能人の不倫問題のように。

 「社会が許すかどうか?」

 本来、選挙ってのはある種の禊的な役割があるものだ。
 過ちを犯したけど、あの人は反省をしてるし有能だからと
 社会が判断する。
 でも判断材料の情報が間違ってるとしたら?

 「それ、聞いてたら許してないわ!」ってなるんじゃないかな。
 
 
 


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島津秀泰(放送作家・動画制作・インタビュー・文章作成)
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