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80歳の俺へ~人生ブランコ9月5日「佐村河内守の映画、Fakeを観る」

 昨日、「佐村河内守」ついて考えていた。このNoteの記事を書いた後に
森達也監督の「Fake」を観る。

 映画を観終えて、それまで抱いて佐村河内氏に対する印象が大きく変わったというか、私が大きく誤解をしていたという方が正しいかもしれない。
 それまでの印象は、耳が聞こえないという詐称。奥さんも共犯者でそれこそ、カメラが回っている最中は障がい者を演じ、「はいカットー」というディレクターの合図とともに「やれやれ、聞こえないフリすんのも大変だわ」って感じなのかと勝手に思っていた。いや、むしろテレビディレクターも騙されたぐらいだから、ひょっとして奥さんも騙していたのか?その辺を知りたい思いもあって映画を観た。
 結論から言うと、よく分からない。
 障がい者手帳を持つほどではないが難聴ではある。広島に落ちた原発の被曝2世であることは嘘偽りない。彼が付いた嘘はゴーストライターを使っていた、ただその一点なのか?正直、障がい者を演じ、人の同情を買うことを計算に入れて、あたかも障がい者のように演じ、挙句サングラスやら長髪やらイメージ優先で人を欺いた人間の根幹は何か?という問いに対するアンサーを期待してみたが、全く違う内容であった。
 恐らく日本でも指折りのドキュメンタリストである森達也監督が密着する今作。絶妙な距離感で佐村河内氏に迫っている。大きな誤解の一つは奥さんは終始、手話を使って会話をしている。これはどこまでFakeなのか、分からない。二人きりになった時、手話を使わないのかどうか、知りえないぐらい日常でおいては耳が不自由な設定のまま、二人は過ごしている。
 映画としてはゴーストライターとなった新垣隆さんが告発後、時の人としてテレビ、雑誌、イベントと八面六臂の活躍を見せるほど引っ張りだこになる。で、その様子を時に画面越しに、時に雑誌記事を見守る、佐村河内、守氏。
 フジテレビ、TBS、さらには外国人記者からの取材、あるいは出演交渉を受ける様子をカメラが密着してるのだが、リアルで面白い。特にフジテレビだったか、我々は茶化すつもりはないと出演交渉をしながらもバラエティーに出演を見送ると、新垣隆さんが出演し、それを見守るシーンがあった。交渉時とは違う、お茶らけた内容に「言ってることと違うじゃないか!」と言わんばかりの表情をする佐村河内氏に対し、森達也監督が「もし、出演してたら主旨は大分違ってたと思いますよ」というフォローを。
 そりゃそうだ、結局、テレビマンは出演者といういわば持ち駒をどう最大限に生かすか?という考え方だ。別にテレビに限らず、スポーツでも今いる選手でどういう戦術が最高の結果につながるのか、逆算するから僕もフジテレビの演出に文句はつけるつもりはない。ただ、その様子を映し、映画にしている森達也監督はさすがである。
 いずれにしろ、私が当初頭に描いたいたような「人を欺く完全な悪」という感じではない。目の見えない少女に長年優しく接する姿や新しく買ったシンセサイザーで音楽を奏でる姿。0か1かという話ではないのが心に残る。
 いっそのこと、事件から10年経った今、もう一度コンビを組めばいいんじゃのかとすら思う。だってもう新垣さんのバブルもとっくに弾け、生活も苦しいのではないか?互いの恩讐はあるのだろうが、本当にいい曲を作るコンビなら、二人がもう一度再会しそれこそ中居君の番組で会って曲を作ればいいんじゃないかとすら思う。そこからが本当の勝負のような気がする。話題性はあるだろうから注目は浴びる、けど売れるかどうか評判はどうか正しくジャッジされると思うが。
 いずれにしろ、人はそんなに悪じゃないし、完璧じゃないという事か。もっとボヤっとしているのかと知れたことは大きい。ただ、明日以降、またノンフィクションの本を買ったのでそこでどう佐村河内氏に迫っているのか、楽しみだ。 

 日中、一本動画の編集作業。13時から行きつけの美容師で2か月ぶりに髪を切る。もう2年も通っているが会話はゼロ。まあ、それも悪くないが。プライベートが充実してない時、根掘り葉掘り話すこともなければ、調子いい時も特に話をしない。それはそれでいい。

 夕方、2日連続でランニング。本当に体が動かない。うーむ。
 夜飯。蕎麦が食いたくなって逆算で蕎麦と一緒にくいたいものをいろいろ用意。玉子焼きはには最近ハマってる白だしとみりんで。味は。。。いまいちだな。あれ。

小松菜のナムルとイカそうめんにきゅうり。買った焼売

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島津秀泰(放送作家・動画制作・インタビュー・文章作成)
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