80歳の俺へ~人生ブランコ9月21日大谷翔平を語るフリに使う「私の見た中で」を考える
放送作家の島津です。最近はもっぱらSNSの運用代行でメシを食いながら時々、映画の構想を練っています。基本、日記をベースにしてますが後半からコラムっぽいネタを書く構成になっています。
5時起床。今年一番の早起きだ。7時からの撮影のため、移動を含め、この時間に。京浜東北線に揺られ、神田を目指す。電車から見る風景もいつもと同じだがどこか気持ちがいい。街がまだ眠っている感じが心地いい。
7時からネイルチップアーティストGOさんの撮影。ネイルチップの撮影は初めての事であり、カメラのアングル、レンズ等あれこれ試行錯誤。まだまだ勉強不足な感は否めない。10時過ぎに撮影は終了。大森に戻り、朝食を兼ねた昼食をサイゼリヤで。
昼食を終え、カフェで編集作業。毎度のことながら目が疲れる。作業途中で自宅へ戻る途中、マクドナルドのドライブスルーの看板に目が留まる。
「どちらでもどうぞ」、なんか漫才師のコンビ名のようなフレーズだ。ダウンタウンしかり、いとしこいし、青空球児工事etc.
自宅へ戻り、残りの編集作業を終えて平和島公園へランニング。
映画のアイディアを考えながら、ふとヴィンチェンゾナタリ監督の「CUBE」を思い出す。低予算ながらワンシチューエーションのドラマに衝撃を受けたことを思い出す。そこでもしも記憶喪失の男が二人密室に閉じ込められたら?という事だけ思いつく。記憶喪失ものって大概、一人だから、二人だったら新しいんじゃないかっていう種なんだけど、なんで二人のいるのか?どうストーリーが転がるのか、全く見えてないけど。何か眠ってそうな設定ではある。
さらに、ランニングしながらある事に気づいた。今日も大谷翔平選手が52号のホームランを打ったのだが、大概相手監督は「私が見た中では、彼は史上最高の選手だ」とそんな感じの似たり寄ったりのコメントを寄せているのだが、、、
「私の見た中では・・・」これは中々の発見だ。記者がインタビューしてるのだろうがそこでは誰も「どれほど見てきたんでしょうか?」「具体的には何人ぐらいを?」という野暮な質問はしない。きっと現役時代、さらにはコーチ、監督となりメジャーはもとより、マイナーの選手も何十年も見てきたということは簡単に類推される。だから許されるセリフなのだ。そこには圧倒的に自負と経験値が詰まっている。これが俺では微塵の説得力もないのだ。
この平凡な「私の見た中では・・・」は言葉は平凡だがこれを口に出来る人は数が限られてくる。考えてもみて欲しい。もしこれが「これまで私が食べてきた中で・・・」と言ったらどんだけミシュランから高級寿司まで食べ歩いたか、そんじょそこらの人が語ったのでは説得力がない。また「私が抱いてきた女性の中で・・・」と言ったらどうか。それこそ「それは何人ですか?」と聞かれることだろう。さしずめ、「火野正平」か「松方弘樹」か「羽賀研二」かぐらいの勢いは欲しいだろう。
齢50を超えたが生憎、「私の見た中で」と使えるジャンルはまだない。
一度は人生で使いたいフレーズとして記憶しておこう。80歳の俺よ、どうだい?
夜飯。プレモルを久々に購入。ビールって安くなったな。そばつゆにはラー油を。これって誰がやり始めたのか、本当に美味しいな。