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80歳の俺へ~人生ブランコ9月6日「皮肉以下という世界」

 朝8時20分起床。昨日の余韻冷めやらず、佐村河内守氏の件に思いを馳せる。善か悪かというより些細なきっかけで人は泥沼にはまり込む方がリアリティはあるのか?一つ足を踏み出すと歯車が狂うという方が本当かもしれんな。

 朝食を取りながら、モーニングショーを観る。「老化」の始める年齢についてトークしている。なんだかなあである。そんなの個人差あるじゃないか。とかく最近は老眼で、痩せにくく、オナニー回数が減っている、というかもうオナニーがそんなに気持ちよくなくなってる。いつのまにかもう現役選手じゃなのか、俺は。80歳の俺よ、どうなんだ。これは本当はもっと深堀りしたいし、情報交換したいところだが羞恥心というのもあるのでやめとく。溜まりこんだ洗濯をする。

 日中、自宅でSNS向けの動画の編集作業をこなす。目が疲れる。特に何も特筆すべきこともないと思っていたがそんなことはない。編集中、XやらFacebookやら一切見ずに作業をしていた。期せずしてSNSデトックスというのか、余計な情報見る時間がなくなり、心なしかスッキリする時間が出来た。

 SNSなんか、現在の社会情勢を知る、あるいはつい気になる出来事を知るツールなのだが、所詮は暇つぶしのアイテムに過ぎないのだと、気づく。でそこで一つの思いが浮かび上がる。
 「あれ、待てよ。Xで見ているのはおススメの何十万人が見ているもので俺のコンテンツは100人すら見てない」と。
 つまりはこの記事も「暇つぶしにすらなれないコンテンツ」なのだと。この事実は一つの発見であった。皮肉の意味で「Xは暇つぶしのコンテンツに過ぎない」と思いながら、いざ我が身を振り返れば「暇つぶし」のコンテンツの域まで達してないじゃないかと。これは中々、面白い、「皮肉にすら当てはまらない」というジャンルが面白い。
 かつてテレビという低俗なものを見ることで「1億総白痴知化」と大宅壮一は皮肉を言ったが、そこに入らないテレビすら見れない人も一定数いたはずで、皮肉よりもひどい状況も現実にはあるのだ。「皮肉以下の世界はある」のだ。きっと暇つぶしにも到達しないコンテンツは山のように溢れているのが現在なのだ。
 
 実は自分のコンテンツを別の媒体を通すと途端に評価されたりもして結局は作品のそのものの質よりも、どこから発信するのかが大事であったりもする。同じ発言でもテレビ方が影響力が高いように。今更ながら「質」よりも声の大きさ、いわば、いいねとかフォロワーということなのだろう。

 ここ10数年、「テレビがつまならない」という皮肉というか声を聞く。これもなあ、かつて「テレビは面白かった」という過去の記憶からくる言葉だが、あと10年も経てばそもそもテレビとは面白くないのが前提となり、わざわざ、テレビがつまらないと叫ぶことすらおこがましくなるのだろう。むしろ「今日のあのテレビが面白かった」とつぶやく時も来るだろう。昨日のサッカーワールドカップの最終予選で中国に大勝した。「初戦は難しい」という声はどこへやらというほどの圧巻の強さだった。時とともに言葉の意味も移ろうね。「一億総中流」という言葉もどこへやらだ。

 三日連続でランニング。初日はどうにもならないほど走れなかったが、ちょっと動けるように。運動の継続は本当に難しいな。
 

俺の憩いの場

 ランニング途中に父親からのLINEが届く。
 自己破産の手続きについてなんやかんや10数年言い続けているが未だに手を付けずにいる父に夏場、実家に帰った際に厳しく追及していた。弁護士への提出資料やら提出すべき10数年分の決算資料をずっとやってないのだが、、、呆れる文面が届き、どう返答すべきか、頭をもたげる。怒るべきか、それを無視して要件だが伝えるべきか?逡巡する。とりあえず、感情に任せて即レスするのだけは避けて放置することに。

 夜飯。今日はパートナーがいないので自分の食べたいものを適当に。わさび漬けの鶏モモに、和風のスパゲッティで。

  で、BS-TBSでずっとやっていた「男女7人秋物語」の最終回の録画チェック。当時の恋愛ドラマの違和感も楽しみつつ、堪能。大竹しのぶさん、手塚理美さん、片岡鶴太郎さんの演技がピカイチだったんだと大人になった今はよく分かる。ただ、そんなわけだないろうって突っ込めるのもまた楽し。

もはやヨガの人
一画面に4人
きれいすぎるって言葉

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島津秀泰(放送作家・動画制作・インタビュー・文章作成)
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