薬に頼ろう、の話。
もうすぐ50歳Pです。
前回、パニック障害の話を書いたところ、反響があったので、もう少しだけ。
自分がパニック障害になったのは、29歳の時。
コーヒーをじゃぶじゃぶ飲んだ打ち合わせ後、一人で歩いていたら、だんだん今までになったことのない感覚に襲われた。
急に、走り出したいような。
そうでないような。
とにかく、今までになったとこのない感覚。
赤信号でも自分が飛び出しちゃうんじゃないか。
わけもわからず、少し落ち着いた後、病院に駆け込んだ。
症状を話すと、心電図をとられ。
「異常ないですね~」と先生。
「でも、おかしかったんです。とにかくおかしかったんです。」と私。
「わかりました。」と先生が立ち上がり、電話をかける。
遠くから聞こえる声。
「ええ、そうなんです。29歳の男性が強い不安感を訴えているんです。」
強い不安感、29歳。
俺じゃん。
これって、病気じゃないのか。もしかしたら、心療内科的なことなのか。
「近くに、心療内科があるので。そこに行ってください。」と先生。
心療内科で言われたのは、
「まあ、そういうこと、たまにありますが。あまり、もう一回なることはないですよ。一応、お薬差し上げますが。」
確かそんなことだったかと。
何事になく過ぎていった次の日、カフェに一人でいたとき。
「あの感覚」が襲ってきた。
あれだ!怖い!どうしよう!
まさしくパニック。
薬を飲んだのか。どうやって落ち着かせたのかも覚えていない。
そう、その日以来、パニック障害に苦しむことになってしまったのだ。
日に何回か、あの感覚が襲ってくる。
頓服の薬をもらったので、それを飲んでみたり。
でも、なるだけ飲まないように、と心療内科の先生から言われていたり。
自律神経もおかしくなり、日に何回か、のぼせるような感じになったり。
自分一人で責任のある打ち合わせが最悪で。
もし、自分がパニックになってしまったらと思えば思うほど、おかしくなる体。
相手先で、隠れて薬を飲んだ。
正直、その後の半年のことはほとんど覚えていない。
書籍も読みまくった。
一番役にたったのは、認知療法の書籍。
とにかく、またあんなことになるかも、またなるかも。という恐怖感。
でも、そうなるかと思ったが実際ならなかった。
4回のうち3回。
といった事実を書き記し、それを眺めるのだ。
そうして、そんなに簡単にパニックになるわけではない、という事実を頭にしみこませるのだ。
実際、自分が本当にパニックになったのは、最初の1回だけ。
それ以外は予期不安。
要するに、なるかも、またなるかも、で不安が不安を呼ぶのだ。
でも、なかなかよくならなかった。
病院も2回ほど替えた。
そして、3番目の病院で、「もうメンタル的なやり方は難しいかもですね。SSRIを使ってみましょう。」と言われた。
抗鬱剤の一種である。
わらをもすがる思いだった。
また、そのとき1週間、休みをもらって、田舎に帰った。
両親は、東京からいつ実家に戻ってきてもいいよ。と言ってくれた。
小学校のとき通っていた道を一人で歩いた。
涙が出てきた。
こんな田舎から出てきてて、東京で仕事ができた。それで十分なのに、何に自分はおびえているのだろう。
失敗してもいいじゃないか。
この病気と付き合って、できる範囲のことでやれば。
もう自分はエンタメの最前線では仕事はできないかもしれない。
田舎に帰るかもしれない。でもそれも人生。
そのマインドチェンジと、そして薬で、徐々によくなっていった。
でも、急にはよくならない。上下の波を描きながら、徐々に予期不安の回数が減っていく。
でも、また、逆戻り。バスに乗るのが怖い。降りられないから。
とにかく気をそらす。という技。
やばくなったら、水を飲むという技。
いろいろ覚えた。
そして、薬が2日に1回、3回に1回と徐々に減っていった。
パニックになってから1年ぐらいで、ほぼ通常の生活に戻った。
その後は、年に1回ぐらい。
ん??という感覚に襲われるぐらい。
それも、もう10年ほどないかもしれない。
でも頓服の薬はお守りのように持っている。
大勢の人の人前に出るときなどは。
パニック障害になるまで、正直メンタルが弱い人が理解できなかった。
まさか自分がなるとは。
そしてわかった。健康だったり、家族だったり、仲間だったり。
仕事は、そのあとに大事なことである。と。
その後、仕事で、メンタル的にやられそうな人に会うたびに話す。
「仕事なんて、家族や自分の大事なことの後にあるもの。真剣には向き合った方がいいけど、メンタルや体を壊してまでやるものじゃないよ。」と。
そして、万が一、困ったときには「薬に頼るのが一番だよ」と。
人間の脳みそなんて、そんなものなのだ。と考えた方が、楽に生きられる。
そう思う。
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