いいわけ



 子どもの頃、よく父の隣でブラウン管のテレビを観ていました。古くなってきて画面が映らなくなったりしたら、うちの場合テレビの右側面を六割くらいの加減で叩くと映ったのですが、その役目は物心ついた僕の担当になっていました。だから僕はいつも父の右側でテレビを観ていました。
 番組の選択権はもちろん常に父にありました。というか、それ以外はありえなかった。ある日、並んでテレビを観ていたらジョージ・マロリーの特集が始まりました。詳しい内容は忘れてしまいましたが、制服を着ていた憶えがあるのであれは恐らく僕がまだ幼稚園に通っていた頃で、台所でケチャップを炒める匂いもしていたので、土曜日だったと思います(平成中期頃までは土曜祝日は第二、第四土曜と決まっており、その他の土曜日は午前中だけ学校がありました。我が家では大抵お昼に母がナポリタンを作ってくれ、食べていました)。もう遥か川下のほうへ流れ去っていってしまったような過去の片鱗ですが、今でも殊更強く記憶しているのは、「どうしてこの人たちそんなにまでして山に登っちゃうんだろう」という素朴で当たり前な疑問でした。
 山頂を目指すまでに、果てしない距離を歩く。登る。山は人が登るようにはできていないから、道中さまざまなアクシデントに見舞われます。山頂に辿り着いても、今度は降りるほうが危なかったりして、登山家によっては(あまり知りませんが山野井夫妻など)下山の途中で凍傷になり手足の指を失うことになったり、もちろん命を落とす危機が常に背後を追いかけ回しているはずです。そんな過酷なところに、なんでわざわざ自分から。僕はこの疑問を、隣の父に投げかけました。
 僕の父は子ども相手に手加減のない人でした。というか、子どものあやし方、扱い方、喜ばせ方、その他ありとあらゆることが苦手だったんだと思います。酒乱の父がどんなに深酒しても正確無比だったのは、子どもを怖がらせることだけでした。
 父はその時「命をかけてまで山に登りたくなってみないと、判らないよ」と最もらしいことを言いました。その時の父が「判っていた」とは思えませんが、言わんとしていることは感じたというか、口先だけで口答えしても仕方がないので(中途半端に反論するともっとやられるので)、たぶん生まれて初めて押し黙ったのを憶えています。
 この時の僕の疑問は、今もまだ続いています。己が大人になるにつれて少しずつ形象を変え、最近では音楽そのものの在り方について考える時間が多くなっています。僕にはなんの地位も発言権もないので、これらはすべからく社会的にはもちろん全く無意味です。

 僕は昭和末期に生まれ、幼少期をバブルの崩壊した平成の成り行きと共に育ちました。子どもの頃、なにかに不足するような渇望する気持ちは持ち合わせていましたが、それは所詮恵まれた世代の贅沢というものらしいです。いわゆるゆとり世代なので、他の人たちからすると許せないものがあるらしい。そのことを当事者たちに言われても仕方ないんですが。オケに入っても、オケを辞めても、フリーでキャリアを積んでも、言われたい放題言われる世代です。でも僕は、自分はそれでよかったと思っています。
 さっき「社会的には無意味」と書きましたが、僕の経歴なんて、よくあるもののうちの一つです。わざわざ発表するようなものではありません。僕は別に、自分語りがしたくて書き物を始めたわけではありません。自分で勝手に始められるから始めました。物書きと呼ばれる人たちが書き物に命を賭してないなどとは言いませんが、職業上は生死と直接的な因果関係はまずありません。僕は家族や仲間にとても恵まれており、間違っても自殺なんかできないので、安心して自分を追い込むことができます。

 小説家や書き物を生業とすることを志す人の多くは「自分は人の心の機微に敏感だ」とか「人間の裏側を視ることが得意」とか、そういうある種の勘違いの上に成り立っていると思います。大なり小なり。だから、僕は小説の新人賞の審査なんかもちらんやったことないけど、一次落ち作品のほとんどは「結局ベタな人情噺」みたいなことが多いんじゃないかと想像しています。自分でもそういうものを書きながら…。
 僕は小説のことは丸っ切りズブの素人で読んだ文字数も圧倒的に足りていませんが、自分が長く身を浸してきた音楽の世界の仕組みに置き換えることで、そういうおおよその「傾向」みたいなものが多角的に視えてきたような気がしています。その錯覚を初めは便利なものだと思っていました。が、なにかにつけて疎い僕でも途中で気がつきます。なにやってんだ、と。
 僕の感じる小説の面白さの一つに、「大逆転」があります。それまで何十ページをかけて積み上げてきた世界の価値観が、たった数文字に満たないセンテンスによって、それまでと捉え方、視え方がガラリと変わってしまうんです。というか、正にそういう箇所がクライマックスにきている小説も多いです。個人的には『シックスセンス』みたいで、後者のように強い仕組みを持つ作品はあまり好んで読みませんが。

 僕は別に音楽家としてはもう成り立っていて、それからついでに文筆も、なんて思っているわけではありません。なるべく人に言われて(依頼されて)書くのではなく、自分の書きたい時に書きたいものを書きたい。明確に「アマチュア」を自覚していたい。見向きもされなければ不意に晒されることもない、格好つけて言えば、自分のもう一つの聖域のようなものです。自分にとって音楽のために読本がある、と思っていたものが、段々とどちらもないとうまくいかないようになってきました。
 朝目覚めて本がどれくらい「読めるか」でその日の自分をはかることができます。感情や体調などの外殻のコンディションだけではなく、もっと奥の、創作のために必要な潜在的な領域がどうなっているか、その時の自分の文字の読み方で、「言葉で」感じとることができます。漢方代わりに活字を欲し毎日読んでいれば、そのうち書きたいことはいくらでも溢れ出てきます。

 初めは単純に自分の音楽を内省するためでした。より正確に、より敏感に、より無慈悲に。ところがやっぱり僕は文章というものの一側面しか視えておらず(読めておらず)、自分の考えの最上級の言語化や、思いもしなかった発想に数々触れるうち、文章についても音楽と似たような受け取り方ができるようになってきました。具体的には、作品の受理は作家の為人(容姿や性格ではない)の受理というか、発想の根源に感覚が並走しながら作品を楽しめるようになってきました。もちろんむりな相手(作品)も在りますが。
 とにかくたくさん読んでみたら、文学界(文壇界ではありません)はやっぱり僕の思っていたよりも全然凄くて、世界は追いかけきれないくらい果てしなく広いということを、命でほとほと思い知らされました。
 先人たちが培ってきたノウハウは形骸化され、ほとんどのハウツーはトピックごとにまとめられています。後進たちは手早くそれを呑み込み、またその分の余白で違う事柄について考えたり悩んだりするわけです。そこには直前の世代への嫌悪や反発も含まれるように思います。

 なぜ、弾くのか。
 音楽家、演奏家たちだって、精神を擦り減らして、ほとんどの人は貧乏しながら頑張っています。それは登山家が山に登るように、駅伝選手が新年早々箱根の峠を走り回るように(まじでご苦労さまです。皮肉ではありません)、勝手にやっていることです。
 僕の父は「命をかけてまで」僕と妹の将来を案じ、母の行く末を気にかけていました。晩年に足や背中を揉んでやると、そんなことばかり言いました。勝手に気にして、たぶん気にし過ぎて、酒に溺れて、潰されて、早死にしました。
 僕は馬鹿なので、断続的になにかに取り組むためには、自分をある程度負荷の掛かるものに縛りつけておく必要があります。動物をイメージしていただければ、ちょうど犬猫のあんなかんじです。
 形骸化したまま「そういうもの」としか思わなかった音楽のあれこれについて、一つ一つ吟味しながらやっていきたい。コロナで足を止めざるをえなかったからこそ、僕の場合体調まで崩してしまったからこそ、それまでは「まぁ、来世で」くらいに思っていた課題へ、一つ一つ時間をかけて立ち向かっています。そのためになにより武器になるのが、僕の場合、文章を読むことと書くことです(演奏家の場合、スケールとかの基礎練習は顔を洗ったり排泄するのと同じ行動原理です)。
 おまけに付け加えるとすれば、人の格言をそのまま、形が崩れないように大切に手に持っていてもあんまり意味がありません。だからどんどん自分の世代の、自分の世界の言葉に書き換えていきたいと思います。そのために、さらに精密で正確な内省を促すために、僕は日々読んで弾いて書いて聴いて暮らしています。いつかこういう逡巡が家族へ、仲間へ、ご近所さんへと向ける思い遣りとなって顕れるようになれば、なんか急に最後スピリチュアルでメンタリティなかんじになっちゃいましたが、いいのかな、と思って頑張っています。
 そもそもそんな遠回りをしていて、それこそ今世のうちに演奏にまで反映されるか判りませんが。

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