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悟り

こんにちは、領です。

相依相関、振動循環、相反する情報は無に潜在します。
同じ情報は一つとして存在する、そこを循環します。
最上位の情報は無次元の点で、全ての循環の中心点です。

悟りは、業の解消の刹那、五蘊が全て空に潜在して無になる境地です。
五蘊が全て空に潜在して無になる境地を照見することが悟りです。
悟りは、一切の関係性の解消の一点です。

「悟り」は、一切の関係性の解消の一点。より正確には、一切の関係性を含むことにより、関係性が無に潜在した一点です。
「悟り」は、この世の展開を記述する方程式に現われる普遍的な物理現象です。
「悟り」は、神秘や奇跡、救済などの概念の入り込む隙間が全くないくらいに物理です。
「悟り」に、「人としての生の意味」という概念の入り込む隙間が全くないくらいに物理です。

人が悟るわけではなくて、人という情報の展開の中に「悟り」と呼ばれる物理構造(ゼロ地点)が現われるだけです。「悟り」について、時空の「いつどこで誰が」は、計算可能です。そして、「悟り」について、「いつどこで誰が」は、同一の一点という構造です。(波の干渉のようにゼロ地点は存在し、いくつもあるゼロ地点は、同じ情報であり唯一の点として存在します。)
誰かの「悟り」というものは存在しません。「悟り」は唯一の状態として存在します。全ての現象は、唯一の状態の「悟り」に至ります。

私にとって重要なことは、「悟り」においてだけではなく、「いつでもどこでも誰でも」同一人物ということです。

人種差別しても全部自分です。あの人は男の子と女の子を産み分けた。あの人の家の床面積が広い。などなど、全部自分です。たった今、一切の人々が自分自身という構造をこの世はもちます。解りやすいイメージは、現在も含めて全ての人が前世来世で一本に繋がっている感じです。

「悟り」「仏弟子」「仏縁」「大日如来」「般若心経」「中道」「神」「仏教に関する一切の思考」「私は在る」「生の意味」「死の意味」「解脱」「絶対の真理」は、悟りの境地では、無に潜在します。これが、「全ての迷いから覚めること」「全ての価値観を離れること」です。
生きて死ぬ、時空上の人間に「全ての迷いから覚めること」「全ての価値観を離れること」という状態で存在することは物理的に不可能です。
「執着を手放す」「苦の滅却」「慈悲」「正しく生きる」「悟るべき」というのは、生き方であって「悟り」の物理状態とは違います。

物理学数学の言語によって、「悟り」という状態を記述する世界が、私の好みです。
「これって、昔は、悟りって呼ばれていた現象のことなんだ。」という言葉が存在する世界が、私の好みです。

「悟り」という音の響きに、各人がどう振る舞うかは、物理的に決まっています。水素の振る舞い、ヘリウムの振る舞いが決定されていることと同じです。
「悟り」に対し、どのように思考するかは、優劣真偽は確定しません。
「悟り」に対し、どのように思考するかは、優劣真偽を問うものではありません。
ただし、優劣真偽を問うという状態も不可分に存在し、振る舞いは物理的に決定されています・・・。


「悟り」という思考の場が振動するとき、両極端な思考が相依相関して現われ、独立のオリジナルの思考は存在しません。

自分がイラ立ち受け入れることができない思考が存在します。それと不可分に、
自分が心地よい受け入れることができる思考が存在します。

「悟り」に関して、自分の好みの思考を変更する必要は無く、自分の好みではない思考を変更する必要は無いです。他者の好みの思考を変更したい思考も不可分に存在します。

ふと思ったこと
時間も人間中心的な思考。

ふと思ったこと
一切の「今」が「今」存在するなら、認識、観察が無限後退するという思考は正確では無いと思いました。ホムンクルスの消滅。

ふと思ったこと
ブラックホールがホワイトホールに繋がっていて、宇宙は入れ子状になっているという数式の解は、無次元の点の「観」の絶対性を満たす?

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

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