自然の中に入って、世界を観察する。
今日は久しぶりに一日家にいて、ちょっとのんびり。
弁天さまのご供養も、いつもよりゆっくりのんびりと
行いましたよ。
日頃山にはよく行っているのですが、
今回久しぶりに海に行って結構楽しかったです。
思ったより磯の香りはしないのですけども、
海を見ながらのんびり散策したり、
海辺まで降りて行って足を浸してみたり、
海風を感じながら鳥が遊んでいるのをぼーっと眺めたり。
そうそう、香川県高松市には玉藻城というお城があるのですが
そこのお堀は海水の堀になっていて、鯛が泳いでいたりします。
写真撮ってみたけど上手く写ってません。残念。
一切衆生とはおおむね意識を持っている生きているもの、
というお話を先日しましたけども。
自然の中で静かに心を開いていると、
同じ空間の中で生きているものたちの声や姿に気づきます。
鳥や魚やフナムシやチョウ、ねこやいぬが
それぞれにのびのびと思うままに活動しています。
もちろん人間もですね(^^)
世界は人間だけのものではなく、
そうやって生きている全てのものでもあります。
こうして自然の中で生きるものを観察していると
何一つそれ自体で存在するものはなく、
全てがつながっているということが
実感を持ってわかるような気がします。
仏教はなんだか小難しくて、
わかりにくい言葉を使っててよくわからない
と思うことも多いかもしれませんが、
もともとはこういう世界のありようを観察して
それについて深い瞑想の中で思いをめぐらして得た
洞察から生まれてきたもの。
お釈迦さまのさとりは観察と瞑想によって得られたものです。
ですので、私たちも同じように周りの世界を観察して
瞑想の中で思いをめぐらせることで同様に
さとりの智慧を完成させることができるっぽいです。
初期仏教の経典にはしばしば、
人里を離れた静かな森や林、荒地などに行って
修行しなさいということが書かれています。
これはいろんな刺激や人間世界のしがらみから離れるために
人がいないところに行って一人になることを薦めている
というだけではなく、
いろんな生き物が住んでいるところでそのさまを
観察することも薦めているのかもしれません。
仏教は人も動物も超自然の生き物も如来も
本質的には同じものであると教えます。
生きている命の現れがどのような形をしていても、
同じように生命を生きていることでは同じ。
同じ星の環境の中に生まれたいろんな種類の生き物たちを
目の当たりに見ることが、そういう思いにつながるきっかけに
なるでしょう。
出かけて行って、日頃は見ないものを見たり、
普段とは違う体感や経験をすることは、
いろんな知識を具体的に定着させるために
とても有効です。
それは、仏道修行についても同じ。
なので、みんな出かけて行って巡礼したり
山岳修行したり法会に随喜したりするのでしょうね。
自分一人の意識や知識の中の世界に閉じこもっていても
ブレイクスルーの智慧は生まれにくいもの。
世界と関わり、他人と関わり、いろんな生き物と関わるうちに
さとりの智慧への回路も開かれてくるのかもしれません。
*********************
毎月24日はお地蔵さまのご縁日。
この日に法要を営み、
生きとし生けるあらゆるものへの祝福
この世界にあるあらゆる諸霊へのご供養
全ての大地から生まれるあらゆるものへの感謝
をお祈りいたします。
お地蔵さまへのお願い受け付けてます。
締め切りは5月20日です。
宗派宗教にかかわらずお申し込みいただけます。
お問い合わせ、お申し込みは下記アドレスまで。
enshu0615*gmail.com (*を@に置き換えてください)
折り返し申し込み要項をお送りします。
********************