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仏教の女神。

最近女神に注目が集まっているようです。
女性原理や女性性を強めていこう、という動きは
バランスの取れた状態にしようという意味だと
思います。

バランスは悪いよりいい方が安定しますので、
こちらに振り戻ってくるのもそういうことかな。

古代のアニミズム的な宗教においては、
女神の方が重要な神格だったと言われています。
女性の生命を生み出す働きは目に見えて現れ、
無から有を生むという不思議さに畏敬の念を抱くのは
ある意味当然で、わかりやすいものだと言えるでしょう。

伝統的な世界宗教はたいていのものが男性上位主義的ですが、
とはいえ女性的神格に対する信仰というのが
全くないわけではありません。
キリスト教にもマリア様や女性聖人への信心がありますし。
でもイスラム教にはないようですね。

仏さまや菩薩さまには性別がない、あるいは
男性とされているのですが、
天部の神さまは性別がはっきりしています。
弁財天や吉祥天、訶梨帝母などは女性。

仏教においてはこのような天部の女神、
そして観音さまを女性的に受け止めての信仰がありますし、
語源等を調べていくと、実は女性の尊格なのではないかと
思われる仏さまもいらっしゃいます。

チベット密教では明確に女尊である方も多いです。

仏教もキリスト教も、立教した始めの頃は
女性的な神格に対する信仰というものはありませんでした。
キリスト教のマリア崇敬も2世紀ごろから現れたもの。
仏教が天部の神々を取り入れたのは大乗仏教になってから。

イスラム教以外の世界宗教は、厳密な意味でただ一つの神格を
信奉するよりも、個別の状況に対応できるような
バラエティに富んだ信仰形態を取り入れていくことを
選んだとも言えます。

天部の女神が現代的な意味での女性性のアイコンや
発露という形で信仰されていたわけではないのですが、
やはり人は具体的な形があった方が望ましく、
特に豊かさや清らかさを表すのには美しい女性の姿で
あった方が受け取りやすかったのでしょう。

高野山はお大師さまが開かれてからずっと女人禁制で、
明治に禁制が解かれるまでは女性は女人結界の中に
入ることができませんでした。
その名残は今も女人堂や女人道などに見ることができます。

ですが、もともと高野山あたりの地主は丹生都比売さま。
女神さまです。
そして、山内の要所に弁財天が勧請されています。
高野山という山を守り維持するのに、女性の神さまたちの
お力をお大師さまはお借りしていました。

日本の宗教風土においては、古来男性の神と女性の神が
ペアになっていることが多く、そういう意味では
女性の神格に守護された男性ばかりの集団、というのも
そのスタイルを踏襲していると言えるかもしれません。

一つの要素に対して男女の同格の神がともにその働きを示す、
というのは実は他にはあまり見かけない、日本独特の
神さまのありようです。

仏教で国家鎮護を行おうとしたとき
国分寺と国分尼寺が同時に作られたように
男女がそれぞれに同じ働きをともに担う、ということが
昔の日本では一般的な考え方だったのかもしれません。

様々なバランスを取る動きが現れている現在に、
かつてのその発想は何かのヒントになるかもしれません。

仏教の女性の神さま方は、神さま同士だけではなく、
人と神との協調と和合を教えるためにも活躍されているのでは
ないかと思います。

これからどんどんお働きが強く広がっていきそうで、
かなり楽しみです。

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