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四所明神さんをコンプリートしてみた。

丹生都比売神社と丹生官省符神社、厳島神社に行ったら
せっかくなので気比神宮にも行きたい。

と思ったらそういう時ってなんだか誘ってくれる方が
現れたりするんですよね。
ありがたいことです。

先日四所明神さんについてふと書きました。

今年はすでに三社お参りしているので、
気比さん行ったらコンプじゃん(軽い)
と思って行ってまいりました。

気比神宮は越前国一宮。
北陸道総鎮守でもあります。

現在はそこまで海の近く!という感じではないのですが、
そこはかとなく海の気配を感じます。

御祭神は伊奢沙別命。
御食津大神とも言われ、食物を司る神さまでもあります。
海上交通や衣食住の生活全般の安全を守る神として
崇敬されておられます。

ちなみに、丹生都比売神社に祀られる大食都比売大神が
高野山壇上伽藍御社の気比明神と同一神であるとされていて
比売神として表現されるのですが、
気比の伊奢沙別命は比古神のようなのですね。
こういった違いも興味深いです。

また、拝殿に向かって左側に九社の宮というところがあります。
その中の金神社は素盞嗚尊を祀っていますが、
神宮の記述によると
「桓武天皇延暦23年8月28日、僧空海当宮に詣で、
 大般若経1千巻を転読求法(てんどくぐほう)にて渡唐を祈る。
 嵯峨天皇弘仁7年に復び詣でて当神社の霊鏡を高野山に遷して、
 鎮守の社とした。即ち紀州高野山の氣比明神はこれである。」
とあり、お大師さまがここに詣でたという伝承があるようです。

そして、境内地の隣に小学校があり(現在は廃校)、その校庭に
「土公」という気比大神の降臨の地とされている場所がありますが、
ここでもお大師さまや伝教大師最澄さまが7日7夜の祈願を行った
ということです。

ちなみに九社の宮の林神社の鏡を同様に伝教大師が持ち帰って
比叡山に奉ったそうです。

ところで、高野山壇上伽藍の御社は弘仁10(819)年に
山麓の天野社から地主神として勧請され建立されていて、
気比神宮の伝承の弘仁7(816)年よりもあと。

弘仁7年というのはお大師さまが高野山の下賜を嵯峨天皇に
お願いし、その勅許を受けた年です。

壇上伽藍の御社のご祭神として気比明神の名が現れるのは
鎌倉期以降とされているのですが、
実は弘仁7年に申し受けた霊鏡が御社に入ったと思うと、
それはそれでロマンティックな気もします。

お大師さまはもともと讃岐の佐伯氏の出身ですが、
この氏族はどうも海上交通に関わっていたらしいのですね。
厳島と同様に、気比も海上交通に関わる神さま。
そう思うと何かしらの関連性がお大師さまの時代からあった
という可能性も皆無ではないかもしれません。

さらに気比の神さまには次のようなエピソードもあります。
天平宝字4(760)年に書かれた藤原氏の「家伝」の中の
「武智麻呂伝」によると、
霊亀元(715)年、藤原武智麻呂は夢のなかでひとりの奇人と会い
「われ宿業によりて神となることもとより久し。
 今仏道に帰依せむと欲すれども、福業を修行する因縁を得ず、来りて之を告ぐ」
といわれました。
武智麻呂はそれが越前の気比神であることを知って神の頼みを聞き、
越前の気比神宮寺を建てたということです。

これは日本の神さまが仏道に入りたいと述べたもっとも早い記述の
うちの一つ。
仏教との関わりのもともと深い神さまなのかもしれません。

定説は定説、伝承は伝承として、その流れを追っていくと
面白いことがたくさん現れます。

伏流水の中に輝く黄金の粒のようなものでいっぱいの気比神宮。
歴史好きな方には強力推奨です!

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