使命とお役目。
今日5日は弥勒菩薩さまのご縁日。
そして巳の日で弁天さまのご縁日でもありますよ。
次世代如来の代表の弥勒菩薩と
財やコミュニケーション、言葉や音楽を司る弁天さま。
このお二人のハートを掴むようなお願いをするとしたら
「さとりの智慧を得るための学びも
その過程で必要な財や才知の流れも
滞りなく流れて来て自分を満たしてくれますように
そして一切衆生に同じように行き渡りますように」かな。
そういえば慈尊院には弥勒菩薩も弁天さまもいらっしゃいますね。
本放送は6日の21時30分〜Bチャンネル、
再放送は7日の13時30分〜Aチャンネルです。
自分の使命を知りたいとか
自分のお役目って何ですかとか
そういうのを教えてくれるセッションとかもありますね。
自分がなぜ生まれてきて、どうして今このように生きているのか
というのは昔から人間が抱く哲学的な疑問です。
使命とは辞書的な意味では
「使者として命ぜられた命令や用向き。使者としてのつとめ。使者の役目。
使者。使いのもの。
与えられた重大な任務。自分に課せられた尊いつとめ。天職。」
といったもの。
前に挙げた「自分の使命」とはほぼこの3番目の意味で
使われてると思います。
この3番目の意味というのはおそらく英語の「ミッション」の訳語。
この意味での用例はほとんど明治以降の文章ということからも
それが推測できます。
英語の「mission」はこの3番目の意味に加えて
キリスト教の伝道や宣教という意味が加わります。
ラテン語の「mittere」が語源。
送る、投げ入れる、放り出す等の意味があります。
お役目という言葉も
「公的に命じられた役目、義務としてやむを得ずやる仕事」
といった意味。
とすると、使命やお役目というものは
「自分よりも大きい存在から負わされたつとめ」
という感覚の言葉であることがわかります。
誰が、あるいは何が負わせるのか。
問題はそこ。
とはいえこの言葉、なんかうっとりするような
魅力があることは否定できません。
私自身使命とかお役目とか知りたいなーと思って
随分昔ですがそういうセッションを受けたことがあります。
けっこうな触れ込みで紹介者が必要な方で
まあまあな金額でしたけども。
そこで言われたのは
「自分を生きるのがあなたの使命」
とのこと。
その時はええー💦と思いましたけどね(笑)
でも今思うとこれはその通り。
「使命」や「お役目」がどういうものかはちょっとおいといて、
それを与えてるものが何なのか、という方にフォーカスすると
この考え方がかなり危ういのがわかるかと思います。
言葉から分かる通りミッションを与えるのはキリスト教の神さま。
「使命」を与える大きなもの、
「御役目」を与える公的なものというのは一体誰なのでしょうね?
宇宙や天や神といった超越的なものを設定するときに
そのイメージが希薄で漠然としていると
何がそこに混ざり込んでいるのかがわかりません。
基本的には仏教では宗教的なつとめに入ろうとするときは
こちらからお願いするのがルール。
向こうから一方的に声がかかるというのはほぼありません。
この原則はキリスト教でも同じ。
物語の聖人のような召命体験というのは非常にレアです。
大体最後は命をかけることになりますしね。
現代の日本人で使命や御役目があるといえるのは
天皇陛下だけだろうと言った人がいますが
確かにそうかもしれません。
自分の自由意志、自分の人生の目的、この世に生きる意味という
本当にそれぞれの人にとって大切なものを
誰かにうっかり譲り渡してはいけません。
自分の人生の舵は自分で取る。
自分の人生の選択は自分が行う。
もし何かの使命や御役目があるとしても、それを負うときは
自分で選んで負ってください。
宇宙も天も神も仏も自分の中に持つものです。
自分という世界、自分という宇宙、
自分という神仏と同じ要素を持つものに敬意を持って、
外からの何かを受けて生きるのではなく
自分の中から輝き出すものを放って生きていきましょう。