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お大師さまのお母さまがいらしたところ。

高野山の山麓に、慈尊院というお寺があります。
ここは、お大師さまのお母さまがお住まいになっていたところ。
九度山町にあるのですが、この九度山という名前は、
お大師さまが月に9度、お母さまに会うために下山して通ったから
というところからきているそうです。

月に9度…実に3日おき。
あの道のりを3日に1往復したのか…。

九度山は真田昌幸と幸村が蟄居していた場所としても知られています。
当初は高野山にいましたが、妻子との同居が認められて山を降りたということです。

南海九度山駅には赤い六文銭模様の幕がかけられ、
真田十勇士の絵などが描かれていてやはり人気ですね。
以前は戦国BASARAの幸村が描かれた電車の車両が走ってたことがありました。

でもやっぱり九度山といえば慈尊院だなあ、と思うわけです。

慈尊院は九度山駅から歩くと20分弱といったところ。
真田ミュージアム付近を抜け、川を渡って、民家の間を通り抜けていきます。

すぐそばに高野明神さまをお祀りした丹生官省符神社もありますよ。

そしてここは世界遺産。
先ごろ日本遺産にも認定されたそうです。
御本尊と母公を切り絵にした美しい御朱印紙を授かることができます。

慈尊院のご本尊は弥勒菩薩。
弥勒菩薩のまたの名は「慈氏菩薩」。
ここから慈尊院という名前になったのですね。
高野山の政所、冬季の避寒所となっており、
高野山参詣の入り口でもありました。

高野山に続く町石道はここから始まります。

慈尊院はお大師さまのお母さまゆかりであることから
女性のあらゆる願いを叶えるお寺といわれています。

かつての高野山は女人禁制。
山に上がることができない女性は山をのぞむところで
お大師さまへ祈りを捧げたことでしょう。
山上にも女人堂や女人道がありますが、訪れるたびに
女性たちの高野山やお大師さまへの思いの大きさがしのばれます。

こちらも柔らかく穏やかな雰囲気でありながら、
静かな熱のようなものが感じられるのは同様です。
弥勒堂の前にかけられた独特の乳房型絵馬がそれを物語っています。

こちらの弥勒菩薩は秘仏で、21年に一度のご開帳だそうです。
弥勒菩薩は56億7千万年後に下生して、
次にこの世に現れる仏となって救済してくださることが決まってる方。
お大師さまはその弥勒菩薩の下生の時を待って共にお働きになるために
兜率天で弥勒菩薩にお仕えするつもりだと述べられました。
その下生の時を共に高野山で待っているのが、奥の院に眠る方々です。

お大師さまも種字をお持ちですが、弥勒菩薩と同じ「ユ」字。
そして、弥勒菩薩と同体としてご供養されることもあります。

お母さまを大切に思うお大師さまの心が
弥勒菩薩さまを通じて通い合っていたのかもしれません。

そして、そういう弥勒菩薩がたくさんの女性の思いを
受け止めてくださる。
仏になることが約束されている方は女性たちの思いに
未来への希望を返されていたのでしょう。

高野山の道場で加行を終えたら、ゆかりのいくつかの場所に
護摩札を納めに行くのですが、ここもその一ヶ所。
お大師さまのお母さまに加行の成満をご報告するのは、
特に女性の僧侶にとっては感慨深いものがあります。

昔から歴史の上で女性たちが積み重ねてきた思いがあり、
現代の女性たちが山上で修行したりお参りしたりできるのは
その上にあるということ。
それを常に思います。

思いもよらない未来を迎えることができる希望。
それを教えてくれてるような気がします。

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毎月24日はお地蔵さまのご縁日。
この日に小さな法要を営み、
生きとし生けるあらゆるものへの祝福
この世界にあるあらゆる諸霊へのご供養
全ての大地から生まれるあらゆるものへの感謝
をお祈りいたします。
お地蔵さまへのお願い受け付けてます。
締め切りは5月20日です。

宗派宗教にかかわらずお申し込みいただけます。

お問い合わせ、お申し込みは下記アドレスまで。
enshu0615*gmail.com (*を@に置き換えてください)

折り返し申し込み要項をお送りします。

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