四恩に報いる。
本日で地蔵会の一連の行事は無事終了しました。
施餓鬼供養の施主さまには一週間のおつとめ
お疲れさまでございました。
明日はお不動さまのご供養を行います。
こちらもどうぞよろしくお願いいたします。
締め切りは明日の10時ですよ!
このご案内の中にサラッと「四恩に報いる」と書いてますけど。
四恩に報いるのはお大師さまの教え。
四恩とは、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩です。
ざっくりいうと
生まれたこと、生きていること、
平和であること、よい方向に向かえること
に対する恩に感謝して報いようとすることです。
父母がいなくては私たちは生まれることはありませんでした。
周りを取り巻くいろんな人や存在がいるから
私たちは関わりの中でいろんな体験をして生きていくことができます。
この社会の治安や安全を守ってくれている人がいるから
私たちは平和で安心して日々暮らしていくことができます。
そして、よい方向に向かおうと思った時にはその指標を
示してくれるものがあるから道を違えず進むことができます。
当たり前の今日を支えるもの、それがこの四つのもの。
当たり前はありがたいの反意語かも、という話を以前も書きましたけども。
こういうことに気づけてありがたいと思えることが
大事だよということですね。
まあでも、感謝するのは訓練が必要な大人の能力、とも
最近書きましたけど。
しかし当たり前のものというのは
気付きにくいから当たり前と思ってしまうものでもあるわけで。
なので道徳や宗教などはいろいろ例を挙げて教えてくれるのです。
この中では「国王の恩」というのが
最近の思想状況の中で微妙にぼかされていますけど、
仏教のできた当時のインドや
お大師さまが生きておられた平安時代というのは、
人々が平和に生きていくのに
君主や政治をする人の能力や方針が
今よりも非常に大きな影響を与えていました。
「国王」というのは
つまり人々が暮らす日常を安心安全にしてくれるもの。
そう思うと今の日本だと天皇陛下や政府や地方自治体といった
ものになるのかなと思いますね。
人間の歴史が積み重なるにつれて言葉にも
いろんなものが折り重なってきて
一つの言葉に対してそれぞれの人がさまざまな受け取り方、
解釈の仕方、感情の持ち方をします。
言葉は大事。
でもその意味するところのものをどう受け取るかは
本当に人によって異なります。
ですので少なくともその内容についてよく考えて
もし引っかかりがあるなら話し合ってみるということを
冷静に行った方がいいのかもしれません。
四恩に報いる、というのはただありがたいと思って
感謝することだけではなく、
公共の福祉のために貢献するというところも含んでいると
思います。
ただ祈っているだけではなく、
共同体や社会や国や人々、環境に対して貢献すること。
それが四恩に報いるということ。
それぞれの人がそれぞれの場所で
「本分を尽くす」ということが最も簡単な
そのやり方、ということになります。
特別でもなんでもない、普通のこと。
思っている以上に大事なのはそういうことです。