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今年のお彼岸は暖かそう。

明日は3月21日。春分の日ですね。
今年の彼岸の入りは18日、21日に春分となり
24日までが彼岸の期間となります。

地蔵会は本日締め切り。明日から始まりますよ。
お彼岸とはちょっとずれて重なってます。
まだ間に合いますのでよかったらどうぞ。

写真は成相寺の五重塔。五重塔は舎利塔を起源としています。

お彼岸といえば牡丹餅。
春のお彼岸の頃に作るのが牡丹餅で
秋のお彼岸の頃に作るのがおはぎ、というのは知ってたんですが
夏に作ると夜船、冬に作ると北窓というそうです。

ていうか春夏秋冬要所要所であずきのあんこのお餅を
作っていたということは、これがどれだけ
当時の人にとってはご馳走だったのだろうかと思いますね。

そして日本人の言語感覚たるや。
なかなかに洒落ています。

お彼岸の過ごし方のおすすめというのを去年書いてますけども。

亡き人を思い出すのが何よりのご供養というのは
とてもよく言われますが、やはり大切だと思います。

どのようなご供養も心あってのこと。
でも、目に見えない世界に関わるものであるだけに
どうするのが正解かというのは本当にわからないこと
でもあるわけで。

なのでご供養がらみでのいろんなトラブルというのが
起こってくるわけです。

我々の界隈で耳にする話というのは
金額が非常識に高いとか
法要の時間が異様に短いとか
お経が下手だとか早すぎるとか
お坊さんの感じや態度が悪いとか
そういうあたりですね。

どのくらいお布施をお包みしたらいいかわからないので
いくらぐらい、とお聞きしたら申し合わせたように
「お気持ちで」と言われるので逆に困る、とかは
よく言われます。

私自身在家の立場だった時はやはり「お気持ちで」
と言われてすごく困った経験がありますのでよくわかります。

本来的な話をすると、お布施は執着を離れるために
自発的に喜んで渡すことができる程度のものが
一番良いとされています。

なのでお寺やお坊さんの側からこれくらい、というのは
本当は趣旨に反してるのですね。

とはいえ、特にお葬式や年忌供養などの大き目の法要となると
お寺の側でも準備するものがあり
それはもちろん経費のかかることでもありますので
あまりにもお布施が少ないとお寺の赤字ということにも
なってしまうので、そこはお互いにこれくらい、という
コンセンサスを形成した方がいいのですよ。

まあそれも日頃のお付き合いと人間関係あってこそ。
でも昨今は生まれたところにずっと住み続けている人が
昔よりもかなり減り、
折に触れお寺に行くという習慣を持っている人も少なくなっていて
年忌供養やお葬式をする必要に迫られて初めて
お寺さんと接触することが増えています。

以前Amazonでお坊さん便というのができたことがありましたが
仏教界の反発でたちまちなくなりましたね。
でもこういうものでもなければお坊さんにアクセスできない人が
それだけ多かったということ。

法要や法会のお布施というのは
純粋に経済的要素での金銭のやり取りとは
違う意味も含んでいるだけに
需要と供給で価格の決まる商品とは違う
とやはり言わざるを得ないかと思います。

お坊さんたちの立場としては
お坊さんのお唱えするお経は
単に書いてあるものを読んでいるのではなく
仏さまの説法であるお経を
仏さまに代わってご供養する亡き方や施主さまや
そこにいてお経を聞くことができるものたちに
お聞かせしているというスタンス。

つまり仏さまの教えという素晴らしい価値あるものを
オフィシャルな権限を受けてお伝えしているということ。

言うなれば「公式からの供給」というやつです。

それにどれくらいの価値を認めるか、
そして快く渡すことのできるのはどれくらいか
そういう考え方をすればいいのかなと思います。

ちなみに、すごくよかった!と思ったら
上乗せするのもあり、と一応申し上げておきましょう(笑)

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