王平伝 2-6
人材が、明らかに足りなかった。
益州に入る前の劉備軍は傭兵軍団として中華の大陸各地の権力者の元を転々としていた。人から養われる流浪の軍団に人物が集まるはずもなく、またその必要もなかった。だが今となっては、その軍団が国を持つに至ったのだ。諸葛亮は劉備と吟じて劉璋の配下を登用して適所に配し、登用に漏れた者の中で反逆心を持つ者は句扶を隊長とする暗殺部隊に排除させた。そして益州の東には元劉璋配下の李厳を、魏国と接する北方漢中には劉備の信任篤い猛将魏延を、南へは老練な施政官向朗を置いて益州内の体制を整えた。戸籍の整理、法の確立、治安維持、そしていずれくるだろう魏軍との戦いに備えた軍の増強と編成、やるべきことは山ほどある中、法の確立に心血を注いだ法正と劉巴が死んだ。長きに渡って劉備に仕えてきた孫乾、簡擁、伊籍らも益州の風土が合わなかったのだろうか、死んだ。皆、多くの経験を積んだ優秀な文官達であった。
蜀にとっての不幸は続いた。益州の東隣に位置する荊州が呉に攻められ、そこを治めていた劉備の義兄弟であった関羽が討死し、その地を奪われた。劉備軍が益州を手に入れてからというもの、荊州の地はその所有権をめぐって呉との小競り合いが絶えることがなかった。また劉備と諸葛亮も多忙のため荊州にまで手が回らなかったのだが、その結果は最悪のものであった。ただ荊州の地を失ったというだけでなく、関羽をはじめとする多くの優秀な人材を失うこととなったのだ。
諸葛量は苛立った。荊州の敗戦を分析してみると、その原因は荊州劉備軍内での内部分裂にあることがわかった。関羽の権力者に対する峻烈な気質を、諸葛亮は知っていた。その気質は裏返して言ってみれば民に対する仁徳であったが、そういった性格が味方の感情をこじらせて一州を失わせるまでに至るとまでは思わなかったのだ。いや、その危惧はあった。しかし関羽は、今や一国の主となった劉備の片腕であり、その我が主の体の一部が一州を治めることを反対することなどどうしてできただろうか。
「もし自分が荊州にいたならば」眠れぬ夜に何度そのことを考えただろうか。だが自分が益州にいなければ、益州内の体制はこれほど早く整うことはなかっただろう。せめて自分の代わりになる者がもう一人でもいれば、そう思わずにはいられなかった。
山積みとなった仕事の中で書簡に目を通していると、外から足音が聞こえてきた。この足音は、蔣琬。そう思った直後、蔣琬がその姿を見せていた。
「王平という者、どうだ」
「洛陽の家族に想いを残しているようですが、その想いは蜀への恨みとはなっておりません」
蔣琬はまだ若く女も酒も好きであったが、仕事を与えるとこちらの意を十分に汲んだ上でそつなくこなしてくれる。才気のある、蜀にとっての良い人材だと諸葛亮は見ていた。
「軍内ではどうだ」
「軍での勤務も怠りなく、最近は弩の練習をよくしております」
「よろしい。ではいずれ、直接見に行ってみよう。ところでお前、そろそろ新しい仕事をしてみないか?」
蔣琬の眼が輝いた。
「軍事のことでしたら、喜んで」
「馬鹿者、軍の上に立つ者は先ず国政を知らねばならぬと何度言わせるのだ」
「おっとそうでした。また田舎に飛ばされたらたまりませんので、もう言いません」
国府での会話であったが、その口調は流浪時代のそれとなんら変わってはいなかった。諸葛亮はそんな態度を咎めることなくむしろ楽しんでいたが、いずれは変えていかねばならない、と思っていた。
「呉と戦をするのですか、先生?」
「お前ならどうする、蔣琬」
「蜀がこれ以上戦を続けるのは、無謀な気がします」
「その通りだ。今は国内に力を溜め込まなくてはならない。この戦を止めることは、国政を担う我々の務めだ」
「しかし、張飛将軍は今にも呉へと飛びだしていきそうですよ」
「全く、あの方は困ったもんだ」
張飛将軍は蛮勇一擲の人であった。流浪の時にはその蛮勇が大いに力を発揮した。まだ地盤を持たなかった劉備軍に今日があるのは、張飛や関羽の持った蛮勇によるところが大きい。だが今の劉備軍はもう流浪の軍ではなく、国に属する軍なのだ。義兄弟を殺された怨みという私情に駆られた蛮勇は、益州に住む民の心を離し、金を浪費し、国を底から傾かせかねない。
「だがそんなことは、まだ若造のお前が気にすることではない。それより法をやれ、蔣琬。法正殿や劉巴殿がつくった法を、お前らが受け継ぎ守っていくのだ」
「俺みたいな飲んだくれが、法ですか」
「飲んだくれだから分かるということもある。やるべきことは、既に費禕に伝えてある」
「費禕とですか。俺がいうのはなんですが、あの博打好きが法なんかできるもんですかね」
そういうが、蔣琬と費禕は仲が良い。組ませれば、お互い切磋琢磨してくれるだろう。
「もし費禕がおかしな仕事をすれば、いつでも首を落としてやろう。もちろん、お前もな。分かったらさっさと行け」
苦笑いして蔣琬は退出して行った。
いたずらに頭の固い男より、人の喜びを知る者こそが法を司るべきだと諸葛亮は思っていた。そしていくら遊びが好きとはいえ、蔣琬と費禕にはしっかりとした責任感が心の中に備わっているということは、時に兄や父のように彼らに接してきた諸葛亮が誰よりも知っている。
蜀の民政を整えることが諸葛亮に与えられた使命であり、その仕事の中には後進を育てるということも含まれている。平たい言い方をすれば、民政に関してはある程度のところまで諸葛亮の好きにできるのだ。手が届かないのが、軍部である。そしてその軍部が、蜀にとって困った存在になりそうであった。兵権の大部分は張飛将軍に掌握されており、今回の呉討伐への準備も張飛を中心にして展開され始めていた。だがそれには明瞭な勝ちへの見通しがあるわけでなく、義兄弟の仇討ちと言ってはいるが、その根幹には取られたものは取り返すべしという子供染みた思考しかないのだ。それも国を傾ける程の大戦である。益州攻略戦、漢中奪還戦と続けてきた蜀ができるはずもない戦だった。
軍権は文官の元にあるべきである。戦のために国があるのではなく、国のために戦はあるべきなのだ。いくらそう訴えようと、仇討ちの話を出されると諸葛亮は黙るしかなかった。仇討ちを否定することは義と忠を否定することと取られ、下手をすれば自分が今の位置から追い落とされかねない。故郷を取り戻したいという荊州出身者の声も小さくなく、無視できるものではなかった。
何としても、大軍の東進は止めなくてはならない。劉備自身は関羽の死を嘆くも諸葛亮の意見に同意しているが、しかし同時に張飛の憤りと荊州出身者の声も大きくこれを無視すれば蜀は内部から崩壊しかねない。そんな中で、魏の主である曹丕が漢の帝をその座から追い、自らが帝位に就いたという情報が入った。諸葛亮は爆発寸前にある蜀軍の目を北に向けようと画策した。漢の臣であった曹丕の不忠を詰り、漢の帝、劉協は曹丕の手によって殺されたと宣伝した(実際に劉協は殺されておらず、山陽候に封じられていた)。そして劉備に蜀の皇帝になるよう勧めてその通りにさせ、その祝賀のため呉討伐の話は先送りとさせた。こうして時が経てば東進の気勢葉徐々に熾火となっていくだろうと目論んでいた諸葛亮だったが、その火はおさまるどころか劉備が帝位に就くと意気はさらに上がり、手のつけようもなくなってきた。
ふざけるな。諸葛亮はそう叫んでやりたかった。諸葛亮を中心とする文官の努力によりようやく蜀はここまでまとまってきたのだ。それを無教養で無謀な軍人のために全て失おうとしようとしている。それに戦があれば、人が死ぬ。ただでさえ人材が不足しているというのにだ。そんな諸葛亮の危惧を尻目に張飛の口ぶりは、文官は軍人のために働けばいいと言わんがばかりである。
夜、夕食をすませた諸葛亮はいつものように自室に戻った。そして、虚空に言葉を投げた。
「いるか」
部屋の隅の陰が起き上がり、人の形となって諸葛亮の前に膝まづいた。
句扶である。入蜀後の国内平定時に見つけて拾った山岳民族だ。体が小さく俊敏で、その眼は全てのことに対し何も期待していないという冷徹さがある。諸葛亮はそこが気に入った。無口で何を考えているのか分からないところがあったが、句扶の義母に財物を送ってやると驚くほど忠実に従うようになった。彼にやらせたのが、暗殺である。始めの数人は諸葛亮の助言によく従い落ち度なく殺し、今では標的の名を知らせるだけで難なく殺してくるようになっていた。蜀内が安定してきたのは、彼によるところが大きいと言っても過言ではない。
「将軍、張飛だ」
諸葛亮は独り言の如く呟いた。
「将軍、張飛」
句扶はいつもと同じように標的の名を復唱すると、音もなく姿を消した。
悩みに悩みぬいた決断だった。あの男を消すということは、義兄弟である劉備に対する大きな不忠である。しかし自分はもう流浪軍の策略家ではなく、一国の宰相なのだ。一人の感情により万民が苦しまなければならないというのなら、それを全力で以って止めるのが己の役目であるはずだ。無能な者が人の上に立てば、それはもうそれだけで罪なことなのだ。
汚れてしまえ。汚れずして良い仕事ができるはずもないのだ。諸葛亮は寝具に身を包み、眠れない体を無理矢理漆黒の意識の底へと落した。