漢中の原野に二つの騎馬隊が交錯した。王平率いる漢中軍の騎馬隊と、成都から来た姜維の騎馬隊のかけ合いである。 「やるではないか、姜維」 「王平殿こそ、流石は前線に常駐する軍だけあります。成都の軍の腑抜け具合を思い知らされました」 そう言う姜維も、北方の羌族が出自だからか、馬術はなかなかのものだった。馬上での武器もよく使う。指揮官がしっかりしていれば、騎馬隊全体がそれに追従しようと努めて動きが良くなる。姜維の指揮はまだ成熟していない感があるが、それを補って余る技術があっ
遼東で公孫淵が叛乱を起こし、これを討伐するための軍が洛陽に集められた。北方での戦となれば強力な騎馬隊が必要不可欠となるため、夏侯覇は手勢の五千を率いて長安から援軍としてやってきていた。 上質な生地でできた袍を身に纏い、掃除の行き届いた一室を宛がわれて北への出兵命令を待っていた。綺麗な部屋がどうも落ち着かなかった。洛陽の軍営で兵と共に過ごすことを希望したが、将軍が受ける待遇ではないと言われ笑われてしまった。生前の父や叔父が積み上げた功績が、夏侯姓を特別なものにしていた。
人里離れた山の岩肌に、一人の痩せ細った若者が口をぽかんと開けて立っていた。陽の光が眩しいらしくその男は目を細め、見知らぬ地に辿りついた旅人のように辺りを見渡していた。今のこの若者にとっては、空を飛ぶ小鳥すら不思議なものに見えているかもしれない。 その目が岩に腰かけていた句扶を認め、ゆっくりと近付いてきた。 「お前の名は、何だ」 若者は少し考える表情をし、手の腹で目を擦りながら答えた。 「…郭循」 「自分の名は忘れていないか。なら、郭奕は」 「郭…奕」 呟
広都での氐族による生産が始まったと、王訓からの報告が蔣琬に届いた。北伐を終えた蜀は、戦で疲弊した国力を回復させるための人口を必要としていた。そのための異民族の移住策だった。 度重なる大戦は国家の富を浪費させるだけでなく、生まれてくる新しい命の数も減少させた。漢王朝の復興という目標で一国をまとめ、魏に挑戦し、負けた。それは蜀の民にとっては不幸なことでしかなかった。国が不幸に満ち、先行きに喜ばしいものを見出すことができなければ、民は子を生そうと思わないのだろう。 今は為
成都近くの広都と呼ばれる城郭に、北からやってきた異民族を入れることになった。その二千を越える新住民に糧食を配るため成都の倉を開け、蜀の財政を司る孟光が牛車の列を指揮し、王訓はその最後尾にいた。 蜀国内の人口減少を危惧したための移民だった。国は国土があればいいものでなく、広い土地があってもそこで働く者がいなければ生産は上がらない。生産力が落ちれば税を取れず国力は落ち、外敵からの侵略を受けてしまうことになる。外敵とは、つまりは魏だ。諸葛亮が死んでから休戦状態にはなっているが
歩兵を率いる牛金が岩山に籠る馬岱を討ち取り、武都を後にして長安への帰途に着いた。結局、あれから王平は漢中から出てこなかった。最悪の状況を考慮して長安の郭淮に後詰を要請していたが、漢中軍が出てこなかったのでそれは無駄になった。 夏侯覇は漢中からの援軍に備えていて、遅れてやってきた牛金の歩兵部隊に大将首の手柄を譲った。長安への着任早々に武功を上げたことで牛金は上機嫌であった。しかし長安からの援軍を無駄にしたことで、郭淮は怒っているかもしれない。元々、夏侯覇と郭淮は馬が合わな
魏国の西端でおかしなことが起こっていた。武都を守る地方軍が賊徒に襲われ大きな痛手を負い、襲われた村落からは住民が一人残らず姿を消していた。賊徒は全員が騎乗で、出動した地方軍が何の成果も出せずにやられていた。 賊徒が村落を襲う理由は食糧や女を奪うからであり、そこの住民を全て殺したり、連れて行ったりすることはない。村を潰してしまえば、また掠奪に来ることはできないからだ。 軍議で牛金からその話を聞かされた夏侯覇は先ず王平の騎馬隊を思い浮かべたが、漢中から軍が動いた気配はない
輜重に乗せられた千本の戟が成都から漢中に届けられた。まだ余裕があるとは言い難いが、北伐で損耗した漢中軍の武器庫の中身は順調に回復していた。これから調練する新兵の武具はなんとか間に合いそうだった。 成都で大赦が行われ、解放されたかなりの数の罪人が新兵として入ってくることになり、王平と劉敏はその対応に追われていた。大赦に反対していた来敏と董允が罪人を全て兵にするという条件で妥協したのだった。 王平にとっては大きな迷惑だった。罪人を軍に押し付けるのなら鼻から大赦などしなけれ
楊儀が屋敷から姿を消していた。手の者に調べさせると、李厳と会った日の翌朝に蔣琬の部下がやってきて、そのままどこかに連れて行かれたのだという。それ以上のことを楊儀の屋敷にいる者から聞き出そうとしても、固く口を閉ざしている。 蔣琬下ろしの画策は密かに進められていると黄皓から聞かされていたが、政庁での権力争いは思っていたより大きなものになっているのかもしれない。そう思っても、成都の郊外に平民として暮らしている李厳には、全てのことはわからない。 楊儀が連行される前夜に、費禕
馬岱が、第二軍の指揮官からはずされることになった。魏延は実は生きていたという話が出て来て、そのことで楊儀が馬岱を追及したのだ。漢中の山奥で魏延を見た者がいるという報告があり、その真偽が判明するまで馬岱は一時的に軍から除籍されることになった。 魏延の生死など、今の楊儀にとってどうでもいいことだった。この話が本当なら、恐らく魏延は馬岱に命乞いをして、罪人から替え玉を用意することによって逃亡したということなのだろう。李厳のように平民に落とされたのならまだしも、死んだことになっ
光の無い洞穴の中に、水が一滴落ちる音が響いた。 句扶は松明に火を点けた。手足を拘束された小男が、火の光に目を細めていた。長く拘束され薄汚れた小男の肌には蟲が這っており、足元には垂れ流されたままのものが悪臭を放っている。 五丈原で捕らえた黒蜘蛛で、名を郭循というらしい。戦は終わったためすぐには殺さず、成都に連れて帰りじっくりと責め、黒蜘蛛のことを聞きだしていた。 句扶は項垂れた郭循の顔に水をかぶせた。ほとんど無意識でやっているのだろう、郭循は喘ぐようにして顔を流れ
煩わしいほど威勢良く馬群が地を鳴らして駆け回っていた。木の棒を持たせた騎馬隊を二つに分け、それぞれを馬岱と姜維に指揮させた模擬戦である。楊儀は少し離れた櫓の上からそれを眺めていた。 成都に帰った楊儀に与えられた役職は、蜀軍本隊第二軍の軍師だった。第二軍は蜀の北方に異変があった際に駆けつける役目を負った二万の軍で、武具や兵糧に関する軍政は軍団長である鄧芝がやり、兵の調練は実戦指揮官である馬岱と姜維がやる。戦で策を建てるのが軍師の仕事だが、魏との戦が終わったばかりで北に戦が
漢中で五日過ごした。 戦を終えたばかりでゆっくりとしたいところだったが、王平は報告のため成都へと行かなければならなかった。王平軍の参謀である劉敏は、既に本隊と共に成都に向かっている。 遠征から帰ってきた漢中軍の配置と調練は杜棋に任せ、王平は供もつけずに漢中の街を出た。旅装は特別なものでなく、普通の旅人にしか見えないものを身に着けた。 目立たない格好で発ったのにはわけがあった。王平は街道をしばらく行き、人目のつかなくなったところで道をはずれ、樹木が生い茂る山中へと
魏領に攻め入っていた蜀軍から、敗戦を告げる早馬が届いた。兵のぶつかり合いで負けたわけでなく、兵糧が切れたわけでもなく、諸葛亮が死んだことでの敗戦だった。 蔣琬は自分を育ててくれた諸葛亮に対し人並みに感傷的にはなったが、それ以上に何の成果も得られなかった北伐に虚しさを感じていた。一国を治めて財を集め、兵を養い、諸葛亮が出師の表を上奏してから実に七年も費やした。その間、蔣琬はただ蜀軍の勝利を信じ、成都から最前線へと補給物資を送り続けた。民を窮乏させるから止めろという、宦官を
列を成した五万の兵が、五丈原から退いていく。戦場に運び込まれた兵糧も、空しく漢中へと送り返され始めていた。 どのような取引があったのか知らないが、魏軍の追撃はないのだという。諸葛亮一人が死ぬことで魏と蜀が戦う理由はなくなったのだと、楊儀から簡単な説明があっただけだ。諸葛亮を悪者にすることで蜀軍の戦意を失わせしめようという司馬懿の謀略が効いているのだ。 五丈原から眺めると、武功水の東岸で蜀軍を見送るようにして魏軍が並んでいる。それはいつでもこちらに側に攻め入ることがで
人は死ねばどこに行くのか、一人の時にしばしば考えた。 誰であろうと、体はいずれ肉の塊になり、土に還る。ならば心はどうなのか。つまらぬ生き方をした者も、何かを成そうと努めた者も、死ねば等しく同じだとは思いたくなかった。 忍びとして、今まで多くの人を殺めてきた。死んだ者に未練を持つことはないが、死んだ後はどうなるのか、答えの出ないものだとわかっていながらも気になった。民からの略奪だけを楽しみに従軍している愚かな一兵卒の死も、司馬懿や王双のような気概を持つ男たちの死も、行