伊勢神宮の檜から考えたこと - 永遠があった時代 -
春は花粉の季節でもありますね。
花粉症の人は、檜という植物について、あまり良い印象はないかもしれません。
しかし、檜は日本の歴史を通じて重要な木とされていた植物です。
今回は、花粉症の辛さをきっかけに、檜について昔考えていたことを思い出したので、それについて書いていこうと思います。
檜の利用の歴史
檜という木を木材として見ると、
・まっすぐに育つので、長い丸太が得られる
・耐久性に優れ、適切に扱えば千年以上朽ちることがない
・木目がまっすぐで加工しやすく、ゆがみにくい
・木材の外観が美しい
・素晴らしい香りを放つ
といった、理想的といっていい性質を持っています。
そのため、檜は古くから建築材料としてよく用いられてきました。
特に、耐久性と美しさが求められる寺社建築においては最も重要な木材であり続けています。
法隆寺が1300年の時を越え現存するのも、柱に用いられた檜の優れた性質なしにはありえません。
一方で、天然檜の量は需要を満たすには心もとなく、建築用の檜の確保は常に問題であり続けました。
そして、最も檜を必要としていたのは、20年ごとに遷宮を行う伊勢神宮でした。
伊勢神宮の檜
今回思い出したのは、伊勢神宮の前の式年遷宮があったとき、こんな話を聞き、大いに感銘を受け、同時に現代という世を嘆いたことです。
私はこの話を聞いて、まず
「昔の人は何と偉大なのだろうか」
と思いました。
その次に、わが身を振り返って、果たして我々現代人が、このような事業を成すことができるだろうか。そう考えました。
そして、
「このような事業は不可能だ」
と判断せざるを得ませんでした。
失われた未来
理由は明白です。
数百年後に人類が存続していることを、誰も信じられないからです。
少なくとも、近代以前の人は世界が何らかの形で永続すると考えていたと思います。
終末論を持つ宗教もありましたが、そこで語られる終末はあくまで地上の国の終末に過ぎず、神の国は続きます。
地上の国が終わっても、未来のために行動したことは最後の審判での評価材料になるでしょう。
しかし、近代に入り、科学が発展すると、地球にも寿命があるのではないかという考えが生まれ、永遠という概念が揺らいでいきました。
そして、核兵器という決定的な一撃によって、世界が滅びうるものだということが明らかにされ、永遠という概念が人々の認識から消え去ったのです。
核時代を体験し、核廃絶運動に取り組む人々が現れたのも当然のことでしょう。
世界の永続は人々の生きがいを作ります。
自分の成したことが後世の役に立たないどころか、その後世そのものがないのであれば、意義あることなど何もなくなってしまいます。
「核が永遠を奪ったのだから、核さえなければ永遠が帰ってくる」という思考回路は普通です。
しかし、こういった人々は、しばしば後の世代から冷ややかな目で見られることになりました。
その理由は、核廃絶がほとんど不可能であることだけではない気がします。
本当の理由は、
「宇宙には地球を粉砕しうる脅威があふれており、核がなかったとしても永遠は存在しない」
ことが、科学によって明らかになってしまったからではないでしょうか。
人は未来を必要としている
「3人のレンガ職人」という有名な話があります。
元はどこかの昔話だったのをドラッガーが取り上げ、日本に伝来して広まる過程でなぜかイソップ寓話だとされたあの話です。
この話に共感する人の多さからも、後世に残るような大きな目的の必要性は明らかです。
前近代の人々は、物質的には現代よりはるかに厳しい生活をしていました。
それでも人々が絶望しなかったのは、
「自分の成すことが人類の大事業の一部として未来の礎になる」
と信じられたからではないでしょうか。
もしその未来が存在しないのだとすれば、生きがいになりうるのは個人的な快楽だけです。
現代に近づくほど世界の経済成長のスピードが上がったのは、未来を信じられなくなった結果、豊かになって快楽を追及しなければ生きられなくなったからなのではないか、とさえ感じます。
しかし、それにも限界があります。
すべての人に最高の快楽を提供できるほど地球は大きくないのです。
今、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスが熱心に宇宙開発を推進しています。
このことに関しては、「もっと他にやるべきことがあるのでは?」という批判を受けることが多いようです。
しかし、私はこれに賛同します。
人類の居住範囲を広げ、人類の未来が存在する可能性を高めなければ、未来のために働こうという人がいなくなってしまうからです。
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