「小さな声、光る棚」を読んで
#本と珈琲とときどきバイク #バイクと出逢うための本屋 #バイク乗りと繋がりたい #バイクと一般人とを繋げたい #辻山良雄 #小さな声光る棚 #大取次と契約結べそう
本屋開業の進捗としては、ようやく本の卸業者である取次と契約ができそうということで、ひとまずホッとしています。しかも大取次。1500冊規模の本屋なのに笑。これで仕入れられる本が豊かになるはず。ただ、大取次と契約を結ぶにあたり、連帯保証人という大きなハードルを越えるのが大変でした。2名必要とのことで、1人は親がなんとかOKしてくれましたが、もう1人がことごとく断られ、妻でさえ全く協力的ではないので、どうしたものかと、、、どうしても見つからず、結局保証人代行業者に頼むことになりました。それなりの額を払ったわけです。先輩書店の皆様方はこの関門をどう越えたのか気になりますね。身近な先輩書店は身内で対応できたとのことですが、私の場合は親以外は全滅だったので、いやはや厳しいものですね。
店舗に関しては引き続きなんとか予算内に収めるべく、四苦八苦しております。
「小さな声、光る棚」を読んで
先日、素敵な本と出合いました。小さな声、光る棚。
東京荻窪にある本屋「Title」の店主辻山さんの日々の視点と本屋としての矜持みたいなものを綴るエッセーなのですが、とても繊細かつ素敵な言葉&視点に胸を打たれました。まさにこれから本屋を開業しようとしている我が身としては憧れと共感と尊敬の気持ちが溢れてしまい、ここにしたためます。
僕が会社員だった頃、東京出張には何度も行かせてもらいましたが、実は出張のたび、裏の目的があって、本来の仕事の目的を早々に済ませ、それ以外の時間を東京のトレンドスポットや美術館等を巡ってなるべく最新の感性を養うようにしてきました。3ヶ月空けてから行ったりすると東京はたったそれだけの期間なのに同じ景色がなく、常に変化しているのだなと実感させられます。僕は永遠に完成しない東京に関してはネガティブな気持ちを持っていますが、皆さんはどうでしょうか。
どの場所も新しくてカッコよくて周囲の人も意識が高くて、建物や展示やその空間の背景&歴史も読み取りつつ、なるほどと感じてきた一方で、そういう魅力はわかるけど、次第にどれも一緒に見えてきて、それはただ作為に溢れたお化粧の違いだけなんじゃないかと思えてくるように。そしてそこに自分の居場所はないとも。最新のものに触れることはできても、とても窮屈で、飽きてくる。
そんなとき、せっかく東京出張に来ているのだから、他に何か触れておくべきことはないかというテーマを勝手に考える中で、昨今増えてきている小さな本屋さんに焦点が当たりました。小さな本屋には店主個人の感性、想い、メッセージ、空気感が詰まっていて、その魅力は目に見えないし言葉にもできないし、直接行かないとわからない。元々本好きなのもあって、いろいろ枝葉をつけて読みたい本を見つけていく僕にとっては感性を養える聖地といっても過言ではない。
そこで、以前から別の著書で辻山さんを存じ上げていたこともあり、本屋「Title」まで足を運んでみようと思ったのでした。その日から東京出張のたびになるべく寄るようにしていましたが、それでも過去にTitleを訪問したのはたった3、4回ほど。ただ、一度店に入ると時間がかかるかかる。だって興味のある本が多すぎるから。住んでいるエリアの本屋には置いてない本、実は置いてあるかもしれないけどその魅力が見つけられない本などが全て僕の感性の枝葉にリンクしているかのように本の連鎖がつながっていく。当然、全部は買えないわけで泣く泣く数冊に絞るのは毎度のこと。Titleではそんな密度の濃い楽しい時間を過ごすことができていたわけです。トレンドスポット巡りとときに使っていた脳ミソとは異なる脳ミソの思考が回る回る。正直めっちゃ疲れました笑。
それが巡り巡って今や自らが本屋を立ち上げようとしているなんて、思いもしませんでした。最後にTitleに行ったのはコロナ前だから、2年ほど前か、、、僕が本屋を開業しよう決意したのもだいたいその頃。もちろんきっかけはいろいろな物事の価値観、考え方、自分の意思に触れてですが、辻山さんからも大きな影響を受けた1人なのは間違いない。
何のために生きるのか、何のために働くのか、何を達成したいのか、、、いろんな思考をしていく中で全てのピースが合わさったのが僕にとっては本屋だったのです。
そんな辻山さんの今回の新著が僕の琴線に大きく触れるのは必然だったのかもしれませんし、これからの自分への励みになります。いつかゆっくりお話できる日を夢見て。
著書のなかに、辻山さんの考える小さな本屋の矜持について共感とともに、魅力的な表現があったので、いくつかご紹介。たくさんありますが、ほんの一部です。
・会社を辞め個人の本屋をはじめた理由の一つに、自分の責任だけで完結する、継続的な場所を作りたかったことがある。書店チェーンに勤めていたころは、その店に慣れたと思ったらすぐ異動になり、知らないあいだに会社の事情で、店の閉店までもが決められてしまうことさえあったから、自分の意志とは反して仕事が一本の線となって続いていかないジレンマがあった。〜たとえ小さくても、自分が責任を持てる場所でなければ意味がない。〜店をはじめたとき、誰もいない営業後の店で、この場所を終わらせるのは自分しかいないのだということに気がついた。それはとてもシンプルで、わたしがはじめてつかんだ小さな自由でもあった。
・ネット書店では、既にわかっているいま読みたい本は簡単に見つけることができるが、いま読む必要はないがこの先どこかで関わりそうな本とはなかなか出合うことができない。インターネットが得意とする利便性は、いつも〈いま〉と関わっているからだ。しかしそれはいまの自分をただ肯定するにすぎず、まだ芽を出していない可能性に水をやることにはならない。自分のまわりにいま必要な本しかないという状況は、わたしにはどこかさみしいもののようにも思えてしまうのだが、はたしてどうだろうか。
・人が生きるためにパンは必要だが、それだけでは人間の「生活」とはいえない。そこには心をなぐさめるものがなければならず、食卓の珈琲の匂いやふと目を留めた絵画や花など、なくてもよいが、それなしではいられないものが、人を人たらしめている。
どの言葉もグサリと刺さります。僕は本屋開業といっても、バイクとの出逢いが主目的。その手段として本が最適だと思ったから本屋を決意したわけですが、不思議と辻山さんの考えに多く共感します。世代も今まで見てきたものだって違うのに。
今著は本屋を営む以外の人にも通ずるものがある気がしています。日々の視座の糧になるのではないでしょうか。オススメです。僕はトヨタのスマートシティよりも、こういったアナログの本屋という時代遅れで人間臭い足掻いた生き方のほうが美しいと思うし、シンプルに好きです。
僕の店は初期在庫1400冊ほどですので、本屋Titleよりもさらに的を絞ったクセが強い店にならざるを得ません。しかも東京という立地を活かせない人の少ない田舎。その場で果たして営み続けられるのか、背水の陣の背中の崖がじわりじわりと迫ってきているのを感じます。僕のこの選択が吉と出ることを信じて前に進もうと思います。
そんな僕が営む”バイクと出逢うための本屋”がコンセプトの「本と、珈琲と、ときどきバイク。」オープンは11月予定です。もうしばらくお待ちください。
今回はこの辺で。