三社祭と下町と
下町に暮らして4年2回目の三社祭がやってきました。
同日に開催された氏神様のお祭りでは、「5年ぶりにこの光景を見たよこれを待ってたよ。」と嬉しそうに話す高齢男性の姿も。みんなが待ちに待ったおまつり本番は、海外の観光客も大勢みえてそれはそれは賑やかで活気に包まれた3日間でした。
神輿が掛け声が祭りばやしが、町中を練り歩きくまなくきれいさっぱりと穢れをはらいエネルギーが満ちて町が綺麗になっていく。
この町に来るまでは、じつはお祭りは好きではありませんでした。
正直どちらかと言えば嫌いだったお祭り。
なのに、こんなにも好きになったのはきっとこの町が好きだから。
神輿を担ぐ人も見る人もみんな一緒に楽しめるから。
祭りばやしと掛け声が響くと、いてもたってもいられず子どものように音のなる方へ。老若男女が、ただの町の子に戻れるそんな音。
おかしいな、私は生まれも育ちも東北なのに、ずっとこの町で生きてきたように思える。ほんとうに下町が大好きだ。
担ぎ手は高齢者も若者も男性も女性も力持ちもそうでない人も、力を合わせて支え合い譲り合い気を配り合わないとバランスを崩します。力がある人が一人だけでは御神輿は上がらないし、気持ちがバラバラでも前に進めない。ひとりひとりが無意識に集合体となって、その意識が神そのものなんじゃないかななんて思うのです。
ひとりでも生きていける時代に、力を併せ意識を合わせて集中するエネルギーはなんだか涙が出そうになる。
これだけ大きな規模のお祭りなのに、大勢が協力し合い暗黙の約束と規律がいきわたり、うねるようなエネルギーの中に凛とした歴史を感じます。
とはいえ、昔と令和では担ぎ手や引き継ぎ手の減少を感じるなか、古の姿を継承する難しさは計り知れない。
私が住む町内は、三社祭とは別れて同日にお祭りが施工された。この数年で、古参の店は閉店し若手は町を出ている。担ぎ手を他の地域や同好会の応援を得ての開催とのこと。それはそれで、新しい町を育むようで温かい。
毎年恒例の天城連峰太鼓の演奏も素晴らしく、自然に体が動きだす。日本人だなぁと感じる。地響き空気を震わす振動に涙が流れそうになったのは、わたしだけではなかった。
演奏後、演者も町の人とともに神輿を担ぐ姿は、温かく優しくなんとも素敵だ。毎年演奏を企画してくれる、お好み焼きの「染太郎」の店の前で、演者も担ぎ手に加わる。
あなたも毎朝おまいりに来るんだから、今年は法被を着たらいいよ。と氏子さんに声をかけていただいて、町の法被をお借りしました。恥ずかしいような誇らしいような、もうこの町の人だよと受け入れてもらったようでうれしかったな。
三社祭が終わり、7月からはふるさとへ一旦戻ることになっている。何十年ぶりかの仙台での生活だ。一旦戻ってゼロから新たに始める。急にそんな流れになったけれど、いろいろと片付けて、私はまたすぐに戻ってくるつもりでいる。だって、この町が好きだから。もうこの町の人だから。
翌日まで、耳の奥でなっていた祭囃子も聞こえなくなり、祭りの後は何とも静かで寂しいものだ。今年の三社祭はとくに名残惜しいなぁ。
掬乃 ジュンコ
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