【本質】考えても変わらないことに悩まない
昨日、いつもどおり仕事をしていると、突然、私のもとに一本の電話が入る。(電話口の相手をXとする。)
X「◯◯さんですか。Fです、お疲れさまですー。」
私「はい、お疲れさまです。」
昨年度居た職場の人事担当Fさんからだ。
F「福岡県はどうですか。」
私「楽しくやってます。最近色々な業務を経験させてもらってます。」
F「そうですか。良かったです。……。」
私「……。」
F「そこでですね、突然なんですけど、10月1日付けで、◯◯さんにはこちらへ戻っていただくことになりました。」
私「???、ああ、はい。」
Fさんは更に続ける。
F「正式な内示は9月1日に出るので詳細は言えないのですが、◯◯さんのお力を借りなければならなくなりました。折角福岡県でたくさんの経験を積もうと頑張っているところ申し訳ないのですが、よろしくお願いします。」
まさかの出来事だった。私のような立場で半年間で引き戻されるのは、少なくとも直近10年間は無かったらしい。福岡県生活を楽しんでいた私にはあまりにも驚きの通知だった。
ただ、知らされた私は、驚きの感情は捨て、あっさりと(するように)していた。
「どの部署に異動ですか?」
「宿舎には空きがありますか?」
もう、この先どう行動するかしか考えない。
考えても、異動の事実は変わらないからだ。
昔はしょうもないことで頭を抱えた。
――判定が落ちた。受かるかな。
――告白してフラれた。悲しい。
確かに、人間だから、完全に合理的に動くことは難しい(というより不可能と言っていい)。
ただ、生産性のないことに時間を使うほど人は暇ではないはずだ。今よりもっと幸せになるために、他の時間の使い方がある。
考えても変わらないことに悩み,苦しむ時間があるなら、どうそれを打破するか,それに適応するかを考える方が、生産性があるのではないか。
さあ、一緒にいま目の前にあるナンセンスな悩み事を放って、この先どうするかを考えよう。