古事記5:黄泉の国の夫婦喧嘩
ここに、伊邪那岐命、その妹《いも》伊邪那美命を見《み》たからむとして、
追《お》ひて黄泉国に至《いた》りたまふ。
ここに、黄泉の殿戸を出向《い》で迎《むか》ふ時、伊邪那岐命詔《の》りたまひて曰《の》りたまふ。
「愛しき我《わ》が那勢妹命、吾《わ》と汝《な》が共《とも》に作《つく》れる国《くに》、未《いま》だ作《つく》り竟《お》へず。
ゆえに還《かえ》りたまふべし。」
伊邪那岐命は、亡き伊邪那美命にもう一度会いたいと願い、黄泉《よみ》の国へ向かいました。
黄泉の国の門の前で伊邪那岐命は言います。
「愛しい我が妻よ。私たちが一緒に作り上げた国は、まだ完成していない。だから戻ってきてほしい。」
ここに、伊邪那美命答《こた》へて曰《い》ひたまふ。
「惜《お》しきかな、汝《な》が速《すみ》やかに来《き》たらましかばよかったに。
吾《わ》はすでに黄泉戸喫を成《な》してしまひたれば、還《かえ》ることは難《かた》し。」
伊邪那美命は答えます。
「惜しいことをしました。あなたがもっと早く来てくれたら戻れたかもしれないのに。
私はもう黄泉の食べ物を口にしてしまったので、帰ることは難しいのです。」
ここに、伊邪那美命、言《こと》を続《つ》けて曰《い》ひたまふ。
「しかれども、黄泉《よみ》の神《かみ》らと相談《そうだん》してみるゆえ、しばし待《ま》ちたまへ。
ただし、決《けっ》して我《わ》が姿《すがた》を見《み》ることなかれ。」
かく言《い》ひおきて、黄泉殿の内《うち》に入《い》りたまふ。
伊邪那美命はさらに言いました。
「黄泉の国の神々と話し合ってみるから、少し待ってください。
ただし、私の姿を絶対に見てはいけません。」
こう言い残し、伊邪那美命は黄泉殿の中へ入っていきました。
ここに、伊邪那岐命、待《ま》てどもその間《ま》長《なが》ければ、
左《ひだり》の御美豆良《みみづら》の湯津津間櫛《ゆつつまぐし》の一《ひと》箇《つ》を引《ひ》き闕《か》けて、火《ひ》を燭《とも》して見《み》たまふ。
待っても伊邪那美命が戻ってこないため、伊邪那岐命はついに焦り、
左耳に挿していた湯津津間櫛《ゆつつまぐし》の一部を折って火を灯し、中を覗きました。
すると、伊邪那美命の御体《みからだ》は、宇士多加禮許呂呂岐弖、頭《かしら》に大雷《おおいかづち》、胸《むね》に火雷《ひいかづち》、腹《はら》に黒雷《くろいかづち》、陰《ほと》に裂雷《さきいかづち》、手足《てあし》それぞれに若雷《わかいかづち》、土雷《つちいかづち》など、合わせて八柱《やはしら》の雷神《いかづちのかみ》が宿《やど》りたまへりき。
すると、伊邪那美命の体は腐敗し、頭や胸、腹、陰部、手足に八柱の雷神が宿っている恐ろしい姿を目にしました。
これを見《み》て、伊邪那岐命、恐《おそ》れをなして逃《に》げ帰《かえ》りたまふ。
ここに、伊邪那美命、怒《いか》りて言《こと》たまふ。
「汝《な》、我《わ》を辱《はずかし》めたまへり。」
かく言《い》ひつつ、黄泉《よみ》の国《くに》より豫母都志許賣を遣《つか》はして追《お》ひたまふ。
伊邪那岐命は恐怖に駆られ、黄泉《よみ》の国から必死に逃げ出しました。
これを知った伊邪那美命は怒りを露わにし、
「私を侮辱したわね!」と叫び、黄泉《よみ》の醜女《しこめ》を送り追わせました。
ここに、伊邪那岐命、黒御鬘《くろみかずら》を取《と》りて投《な》げたまふ。
すると、これより生《な》りたるものは蒲子。
醜女《しこめ》らこれを拾《ひろ》いて食《た》ひて追《お》ひ来《きた》れり。
逃げる伊邪那岐命は黒御鬘《くろみかずら》(黒い髪飾り)を投げ捨てました。
すると、そこから蒲子《かばね》(カバの実)が生まれ、醜女《しこめ》たちはこれを拾って食べ、さらに追いかけてきます。
さらに、右《みぎ》の御美豆良《みみづら》の湯津津間櫛《ゆつつまぐし》の一《ひと》箇《つ》を引《ひ》き闕《か》けて投《な》げたまふ。
すると、これより生《な》りたるものは笋。
またも醜女《しこめ》ら拾《ひろ》いて食《た》ひつつ追《お》ひ来《きた》れり。
次に右耳の湯津津間櫛《ゆつつまぐし》を折り投げると、笋《たけのこ》が生まれました。
醜女《しこめ》たちはそれも拾って食べながら追い続けます。
さらに、伊邪那岐命、十拳剣《とつかのつるぎ》を抜《ぬ》き、後方《うしろ》へ布伎都都《ふきつつ》と振《ふ》りつつ逃《に》げたまふ。
それでもなお、醜女《しこめ》らは追《お》ひ来《きた》れりき。
ついに黄泉比良坂《よもつひらさか》の坂本《さかもと》に至《いた》りたまふ。
逃げ続けた伊邪那岐命は、持っていた十拳剣《とつかのつるぎ》を抜き、後ろに振りかざしながら走り続けました。
それでも醜女《しこめ》たちは執拗《しつよう》に追いかけてきます。
最終的に黄泉比良坂という境界の坂のふもとにたどり着きました。
ここに、坂本《さかもと》にあった桃《もも》の実《み》三《みつ》を取りて待《ま》ちたまひ、
これを投《な》げて黄泉軍《よみのいくさ》を退《しりぞ》けたまふ。
ここに伊邪那岐命、その桃《もも》に向《む》かひて曰《の》りたまふ。
「汝《な》が如《ごと》、我《わ》を助《たす》けよ。」
すなはち、この桃《もも》に名《な》を付《つ》けて、意富加牟豆美命と号《なづ》けたまふ。
伊邪那岐命は坂本にあった桃の実を三つ拾い、それを敵に向かって投げつけました。
すると、黄泉《よみ》の軍勢は退却しました。
伊邪那岐命は桃に向かって感謝を述べます。
「あなたのような力で、私を助けてください。」
そして、その桃を「意富加牟豆美命」と名付けました。
その後《のち》、伊邪那美命みずから追《お》ひ来《きた》りたまふ。
ここに、伊邪那岐命、千引石《ちびきのいわ》を取りて塞《ふさ》ぎたまひき。
この石《いし》を坂《さか》の中《なか》に置《お》きて、二柱《ふたはしら》はその両側《りょうがわ》に立《た》ちて対《む》かひたまふ。
ついに伊邪那美命自身が追いかけてきます。
伊邪那岐命は巨大な千引石《ちびきのいわ》を取り、坂の境目に置いて黄泉《よみ》の国との通路を塞ぎました。
石を挟んで二柱《ふたはしら》は向かい合います。
ここに伊邪那美命、詔《の》りたまひて曰《い》ひたまふ。
「愛《あ》しき我が那勢命よ、汝《な》がかくするゆえ、汝《な》が国《くに》の人草《ひとぐさ》を、一日《ひとひ》に千頭《ちかしら》絞《しぼ》り殺《ころ》さん。」
すると伊邪那美命は言いました。
「愛しい我が夫よ。この仕打ちの代償に、私はあなたの国の人々を一日千人殺すことで報いるわ。」
ここに伊邪那岐命、詔《の》りたまひて曰《の》りたまふ。
「愛《あ》しき我が那邇妹命よ、汝《な》がかくするならば、吾《わ》は一日《ひとひ》に千五百産屋《ちいほのうぶや》を立《た》てむ。」
かくして、この後《のち》、一日《ひとひ》に千人《ちにん》死《し》に、また千五百人《ちいほにん》生《う》まることとなれりき。
伊邪那岐命は冷静に応じます。
「愛しい我が妻よ。ならば私は一日に千五百人を生む場所を作ろう。」
こうして、この世では一日に千人が死に、千五百人が生まれるようになったのです。
ここに、伊邪那美命、黄泉津大神と号《なづ》けられたまふ。
また、黄泉比良坂を塞《ふさ》ぎたる千引石《ちびきのいわ》は、道反大神と呼《よ》ばれ、またの名を塞坐黄泉戸大神と号《なづ》けらる。
このとき以降、伊邪那美命は黄泉津大神と呼ばれるようになりました。
また、黄泉《よみ》の国の入り口を塞いだ千引石《ちびきのいわ》は、
道反大神、あるいは塞坐黄泉戸大神という神格を持つ石とされました。
さらに、黄泉比良坂は、今で言うところの出雲国の伊賦夜坂にあたるといわれます。
この坂道、黄泉の国と現世を隔てる坂は、現在の出雲国にある伊賦夜坂に該当するとされています。