005.安価な飲み物。
心配性の父
出国前日。父から冊子を受け取りました。
これから行く国々の渡航情報、外務省HPから出力してくれたようです。35か国分。
「着いたら連絡しなさい」
返事はしたものの、どこで連絡したらよいかわからず、でも嬉しかった。
元々大手の紅茶会社に勤めていた父は、僕が中学ごろに転職したのを覚えています。
色々大変だったようですが、仕事の愚痴や怒りは決して家庭に持ち込まない穏やかな男性でした。
そんな父に見送られるような形で、成田空港に到着しました。
1大陸目
僕が購入した航空チケットは「ワンワールド・エクスプローラー」という、日本航空所属のエアライングループが発行している世界1周専用の周遊チケットでした。
(今でも30万代~購入可能のはずです。制約は比較的多いですが気になる方は是非お勧めです。参考サイト:https://ja.oneworld.com/world-travel)
出国後、最初に尋ねたのはタイのバンコクでした。
現地の宿泊事情や街のことを調べず来てしまい、空港からどうやって街へ行くのかわからず。。
最初にしたのは「地元っぽい人たちについていく」でした。それっぽい感じでバスの列に並び、前の人のチケットと同じ場所のものを購入し乗車。
とにかく蒸し暑いし、
バスから降りても何が何だかわかりません。
simカードが無い。
Wi-Fiが無い。
携帯が使えない。
そういえばこの旅で1番重宝したのは、各国のネットカフェでした^^;
結局初日は、2時間ほど歩き回ってたまたま見つけたネットカフェの3階にある簡素な宿に入りました。
60Lのバックパックを背負っていたこともあり、チェックインしてすぐに寝てしまったことを良く覚えています。
翌朝に野犬が吠える声と、生ごみとスパイスが混ざったような独特の香りで目が覚めました。
1周序盤の東南アジアは、街を歩いても日本人がいたり、何となく親切な方が多かったような気がします。
また、この貧乏旅行で癖がついたことがあります。
飲食店で安い飲み物を注文し、そこで色んな人の行き交いを見たり、次の行き先を地図を広げ毎日どうしようか考えていました。
そのあたりでしょうか、自分が毎日コーヒーを飲み始めたのは。。
自分にとって当時コーヒーは「安価」な飲み物でした。
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