榎本 康宏

株式会社ヒトトバ 代表取締役/TODOKEL COFFEE ROASTERY主宰

榎本 康宏

株式会社ヒトトバ 代表取締役/TODOKEL COFFEE ROASTERY主宰

最近の記事

不遜。

大阪湾の奥側で放つ穏やかな朝日。 湯気から立ち昇るうまみの効いた出汁と、丸餅の入ったお雑煮。 「もっと走らなアカンーーーー!」公園で凧あげを教えるお父さん。 初めて、 神戸の正月をゆっくり過ごすことができた。 昨年は訃報に触れることがいくつかあった。 そして年明けの出来事も重なり、 さらに自分の体調を崩し、 時間とか、 命とか、 そんなことを考え茫漠としていた。 「もし家族が亡くなったらやっていけるのか俺は」 「もし今の仕事がダメになったらどうすればよいのだ」 「

    • 黎明。

      残り、あと12日とか、13日。 「今年もあっという間だったーー」という感覚を、今まで毎年抱いたことがない。 自分の中で無意識にその年を振り返ることが多い12月。 「ほんとに今年だったのか」と思うほど1月の出来事がとても遠い過去に感じる。 当時想像もしていないことに対処したり、向き合ったり。 色んな機会を経て、ここ数年仕事ではコーヒーとシェアについて考えることがほとんどで、その中だけでも想定外な出来事は数えきれず。 世の中から見ると自分の立場は「経営者・社長」で、 久しぶ

      • 気づくのが遅かったのか。

        元々埼玉出身の私が、神戸に引っ越してきたのはだいたい7年半ぐらい前。 それまで埼玉や東京で活動していて、 関西に住まいを移すことは不安もあったけど、楽しみも多くあった。 引っ越し1年目、東西南北の感覚が全くわからなかった。 行きたいお店や集合場所を話すときは 「あのスジの上におる」、 「老祥記の下側やな」、 「そこは北野のにしっかわや」、 未知の領域だった。 僕の子供の時の趣味の1つが、なぜか地図や路線図を見る事で。 小2のころには栃木~東京を結ぶ「宇都宮線」という電

        • 敬意を込めた常体。

          夏まで書いていた以前の旅記事、見てくれる方が多く、本当に嬉しかった。 ただ、ブログは旅のことまでしかほとんど考えておらず、これから何書こうとページ運用に詰まってしまった。 (・・発信活動に慣れていないのは、事業者として致命的な気がしている。) 色々考えたけど、このブログはPRで使うのではなくて、 自分が何を考えているのか、 これからどう活動するのか、書いていこうと思う。 世間や周囲に向けたものではなく、 自分への備忘録を兼ねて書き溜めていこうと思う。 文体も敬体は止めた

          元気に、明るく、ハキハキと!

          梅雨明けして間もなく、先日35歳に。 毎年年齢を重ねる度に思うのは、 「こんな35歳になることは、子供の頃からは想像もできなかった」ということ。 関西に移住をし、その土地で結婚し、娘を授かり。 そして会社の代表になって事業を興し。 そしてこれからもっといろいろなことを起こそうとしている。 1つ1つだけを見ると、なんとも突拍子もない生活をしているように感じる。 でもその時その時に、真剣に話したり実際行動したり、前に前に活動を続けた結果が今日になっていて、これがとても大切な

          元気に、明るく、ハキハキと!

          036.土台の話

          前回の記事はこちら☟ イースター島で地震に遭い、 数日足止めとなり、 サンティアゴからなぜかマイアミへ。 そして19時間のトランジットの末、次のフライトへ。 日本でも見たことのある「BRITISH AIRWAYS」の機体を見た時、 深く安心したような気がします。 この時ようやく、「帰る」という感覚になりました。 僕は日本にこれから帰る。 マイアミから8時間ぐらいでロンドンに到着します。 南米の長距離バスで20時間以上の移動を何度も経験した直後だからか、短く、あっけなく

          036.土台の話

          035.見えてきた・・

          前回の記事はこちら☟ 2010年3月3日。 私はマイアミに到着していました。 サンティアゴから約9時間。南米最大のエアライン会社「LAN」航空の快適なフライトで熟睡後降り立ったこの地は、暖かくそして快晴でした。時刻は朝10時。 ちなみにこの時も全てのデジタルツールの電源は無く、カメラの撮影もできませんでした。私の作文をご覧頂ければサイワイデス。 当時の日記にはこうあります。 「さっき、10時、マイアミ到着。  生暖かい。  ヤシの木がある。  どう帰るか。  日本の

          035.見えてきた・・

          034.次はどこへ。。

          ☟前回の記事はこちら。 2010年のチリ地震に現地で巻き込まれイースター島で4日間の立ち往生。 その後首都サンティアゴで異様な穏やかさの中軽くランチを頂いた後に空港へ呼ばれ。。 その理由は「ペルーのリマへ飛行機が飛びます」ということでした。 どうやら海外から渡航してきた観光客を、この被災地から脱出させようという方針のことを言われた記憶があります。 (またペルーですかーーー) この時、屋外の仮説空港にはとてつもない数の方が集まっていて、日本人も何人かいました。 その中に

          034.次はどこへ。。

          033.動かないと続かない。

          ☟前回の記事はこちら。 2010年2月末。 チリ地震の影響でイースター島に立ち往生してしまった私は、2日あれば十分観光できるこの島に、1週間ほど滞在することとなりました。 ようやく首都サンティアゴの空港が復帰し、壁に亀裂の入った管制塔へ着陸したとき、事の重大さに気が付きました。 完全に被災地となったサンティアゴ、旅どころではありませんでした。 ここからはデジカメの充電が切れていたため、ほとんど写真は残っていませんでした。 本来であれば、この後シドニーへ渡航する予定でし

          033.動かないと続かない。

          032.終盤の立ち往生

          ☟前回のブログはこちら 散策はこんなにも楽しいものだったのか・・ 実に穏やかな雰囲気のサンティアゴは、私の趣味に「目的もなく歩くこと」を付け加えさせてくれました。 出国前の私は、「今日はこれをして、明日はこの準備を始めて・・そのためにレポートまとめて・・」 こんな毎日も、人に必要とされている感じで正直楽しかったし、バイトや大学の活動も遊びなりにも真剣に活発でした。 ただ、この旅の最中のやることと言えば、 ✔ホテル探し ✔目的地までの行き方を聞いたり地図みたり ✔ごはん

          032.終盤の立ち往生

          031.海沿いで穏やかな首都

          ☟前回の記事はこちら 壮大な自然に囲まれ、 独特の雰囲気を醸すパタゴニアの旅。 羊肉の祭りの余韻残るエルカラファテからチリに入国し、プンタ・アレーナスという街へバス移動します。 相変わらずの移動時間、もはや9時間の移動は短くすら感じていました。 撮影写真はないのですが、パタゴニアは本当にどこも広大、穏やか。 この街でも適当に宿を取ってチェックインしたことを覚えていますが、スタッフもいらつくこともなく、適度のサービスと適当さはとても居心地がよかったです。 翌朝、飛行機で

          031.海沿いで穏やかな首都

          030.途上のインパクト

          前回の記事はこちら☟ 南米を代表するの大都市の1つブエノスアイレスで再び熱気を帯びた私は、次に最南端のパタゴニアエリアに向かいました。 南米得意の長距離バスを使おうと思っていたのですが、所要時間は50時間。。価格差が3000円ということで、飛行機で向かうことに。 フライト時間は3時間。あっけない飛行時間でしたが到着すると首都との気候の違いに戸惑いました。 晩夏とはいえ9℃、寒い。。 パタゴニアとはチリとアルゼンチンの南緯40度以南のエリアのことで、このエルカラファテと

          030.途上のインパクト

          029.醍醐味

          前回の記事はこちら☟ アルゼンチン首都ブエノスアイレス1日目。 何よりも空腹の印象が濃いこの夜、私は奇跡的に、偶然見つけた日本(一部中華)食の飯店に入ることに成功しました。 カリフォルニアロールを数人前、味噌汁、炒飯、肉うどんらしきもの、そしてスープ。 この旅で1番食べた夜のはずです。最高の時間を過ごせた。 1人旅にありがちの、周囲の視線が気になるということはこの時期にはほとんど消えていました。とにかく1日を必死に、楽しめていたのではないかと思います。 その夜、2月の

          028.熱気再び。

          マクドナルド、 ケンタッキー、 スターバックス、、、、 久しぶりに見るロゴマーク達。 立ち上る高層ビルに、片側8車線の幹線道路、そして路面電車や地下鉄の路線図、、、 2カ月ぶりの大都市に到着しました。 アルゼンチン首都、「ブエノスアイレス」です。 この時期の写真のデータがすっぱ抜けていて記事作成中気分が下がってしまいました。全力で文字に熱をこめて当時を綴ってまいります。 まず前回の、アルゼンチン北部の都市「フフイ」からブエノスアイレスまでは結局29時間のバス旅行でし

          028.熱気再び。

          027.大都市へ。

          ボリビアから陸路で南下、バスで国境を渡りラキアカというアルゼンチン北部の街で1泊した21歳の私。 このラキアカという街、典型的な地方の田舎街で特徴も何もなかったのですが、私には忘れられない街になっています。 日記には 「今朝は5時半にチェックアウトし、バス停まで歩こうとすると宿の女の子が案内してくれた。」 とにかく質素な街だった記憶がありますが、この女の子の表情や、キオスクのような売店のおじちゃんの顔も、どこか穏やかで会話が弾んだ記憶があります。 何話しているのか理解

          027.大都市へ。

          026.覚えたては使いたくなる。

          4,000m級の山間部。澄んだ真っ青の青空が、鏡のように映るウユニ塩湖は神秘的な景色でした。 そんな余韻が抜けない中、私は次の街へ移ります。 ウユニ塩湖内にある宿に住む少年とも別れのときが。 バスでウユニを発ち、南へ向かいます。 この先にあるのは「アルゼンチン」。広い以外何も想像できないこの国で何が起こるのか、わくわくしていたバスの車内だったことは覚えています。 約5時間ほど乗ったとき、国境の街「ビジャソン」へ到着します。約1か月滞在したボリビアの、最後の街です。 歩

          026.覚えたては使いたくなる。