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009.パタパタのままに。

001.から僕のこれまで34年間を辿っています。
今回も、大学を休学して世界1周したときのことを進めていきます。

アテネ市街地(2009年)

ギリシャのアテネに数日滞在した後、深夜特急で発つこととなります。だいぶ狭い4名ボックス席に揺られること約7時間。ギリシャ北部のテッサロニキという街へ。

その1時間後、AM8:00ごろに電車を乗り換えます。
マケドニアという国を経由し、さらに北の国セルビアの首都、「ベオグラード」へと向かいます。

コンパートメント(個室ボックス)車両

コンパートメントという、ドアで仕切られた4名ボックス席へと座りました。通勤列車としても活用されるらしく、各地域で色んな方と同じ空間をともにしました。

当時の日記を読み返すと、この列車だけでもエピソードがたくさんありました。

そして終点らしきベオグラード駅に到着したのは同日の23:30頃。
アテネから24時間かけて到着したこの街は、深夜とはいえかなり重い雰囲気に感じました。

マケドニア~セルビアに向かうときはほぼこの風景でした。


しかもどうやら降りたのは終点ではなく南駅だと親切な地元のマダムが教えてくれました。。
本当の終着駅「ベオグラードセントラル」はこの先。
この駅には安宿はありません、そして目の前にあるビジネスホテルらしきところ(50USドル/泊)には、予算上泊まるわけにはいきませんでした。

朝焼けのベオグラードとドナウ川

明らかに銃弾痕だとわかる丸い穴をいくつも確認できるコンクリート壁にもたれ、セルビア最初の夜は、小さな駅舎で野宿となりました。


翌朝、地元通勤客の1人に「OK?OK?JAPAN?」と丁寧に起こされたのは忘れません。目が覚めると6人ぐらいに囲まれてましたが、幸いみんな心配してくれてたようです。

少し重々しくも穏やかな街の雰囲気は、インドやイエメンの活気さを周ってきた自分には最初少し寂しいものでした。

絵を売る方が多い街でした


この時11月初旬。
1か月後にハンガリーで人に会う約束をしていますが、それまで無計画な状態でアテネから旅をしています。

ベオグラード中央駅からは、中欧や西欧まで1本で行けるような列車もあります。


駅構内のパタパタ案内表示には
パタパタパタパタ「ZURICH」

パタパタパタパタ「ZAGREB」

パタパタパタパタ「ISTANBUL」

パタパタパタパタ「PRAGUE」



「次はどこへ行こう?」
そんなことを考えながら、いつも通り苦いエスプレッソに砂糖を入れていました。

満室の安宿に頼んでロフトで滞在していたベオグラード

今日も見て下さりありがとうございました!

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