019.口を押さえた真意。
まさか南米に本当に来れるとは。
L.AからLAN航空でペルーの首都リマに着くとそんな気持ちになりました。
ずっと冬だった北半球から、夏に差し掛かる南半球へ。
リマの空港で服装を変え、欧州でとりあえず買った10€程度のセーターなどを廃棄しました。
11月の欧州から英語表記が当たり前だった文字も、一気に全てスパニッシュへ変わります。
毎日のコーヒーも、北米では「brew」や「drip」だったのが、全て
「cafe solo por favor」
と注文することになりました。
リマの街並みはあまり印象に残ってないのですが、住宅のセキュリティというか、防犯的な仕組みが少し厳しかったことをまだ覚えています。
ヨーロッパの終盤や北米では各地で楽しい思い出を作れました。このペルーからは、誰かに会うとかの約束もありません、全くの無計画。
決まっているのはちょうど2か月後、
3/2 サンティアゴ発シドニー行きのフライトのみでした。
「とりあえず、地上絵かな。」
リマ到着翌日の1/3、「nazca」と書かれているハイエースのような車に乗り込み、片道5時間の日帰り観光へ。
ちょうどナスカの地上絵を目当てにしてるだろうイギリス人カップルが同乗してたことが嬉しく、すぐに声をかけてしまいました。
行きの車内、スピード狂のドライバーだったのかかなり飛ばします。確かに市街地を出るとひたすらまっすぐの舗装道でしたが、それにしても早かった。運転席の後ろに座ってた私が時々見るタコメーターは、いつも100の数字を越えていました。単位はわかりませんが多分マイルのはずです。
結構な車酔いをしてナスカに到着すると待っていたのは、セスナに乗って地上絵を見るスタイル。
7人乗りで、1席毎に3枚のエチケット袋が用意されていました。みんな心配してることは同じ。
リマから一緒だったイギリス人カップルともこのころには打ち解けて、思わず苦笑いでセスナに乗り、いざ、地上絵へ。
終わってみると15分の遊覧飛行。
イメージしてみるとわかると思いますが、乗り物酔いしててさらにカメラを下向きに構えるのはとても苦行です。
着陸後のエチケット袋は全席なくなり。そういえば私の後ろに乗っていた黒人は口を押さえてセスナから顔を出していました。
正直、地上絵を見た記憶がありません。
ただ、そこに行くまでの途上がスリリングで楽しかった。
ナスカの思い出はしょーもないことが多かったのですが、強烈な思い出の1つとなっています笑
この後リマを発ったとき、ナスカで3半規管を鍛えたことを誇らしく思うことが何回か出てきます。
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2022.7.4より、これまでの経験から学んだものをクラウドファンディングで表現しております。是非ご覧ください!
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