026.覚えたては使いたくなる。
4,000m級の山間部。澄んだ真っ青の青空が、鏡のように映るウユニ塩湖は神秘的な景色でした。
そんな余韻が抜けない中、私は次の街へ移ります。
ウユニ塩湖内にある宿に住む少年とも別れのときが。
バスでウユニを発ち、南へ向かいます。
この先にあるのは「アルゼンチン」。広い以外何も想像できないこの国で何が起こるのか、わくわくしていたバスの車内だったことは覚えています。
約5時間ほど乗ったとき、国境の街「ビジャソン」へ到着します。約1か月滞在したボリビアの、最後の街です。
歩行で国境をまたぐのも慣れてきました。ゲートの向こうは「アルゼンチン」。
イミグレーションはすごく並びました。1時間ぐらい。
相変わらずこういう人が群がる場所には野良犬がいます。この時はそれぞれのゲート側で数十匹はいました。
だいたい寝てるかのびていましたが、それでも大きい野良犬は怖い。
朝からバスに揺られ、標高も下がりつつあったので気温が少し上がってきました。
イミグレ待ちは旅にはよくありますが、私はくたびれていました。
中東のようなシビアな詰問はなく、無事にアルゼンチンスタンプを押され入国。
安心できるまでもう少し。
宿探し、どうしましょう。客引きがいない。いるのはホームレスみたいな方と、ボリビアへ向かう大荷物のファミリー。
とにかく歩きます。
「ラ・キアカ」というアルゼンチン最北端のこの街。
噂には聞いていましたがこの国は牛肉がとにかく安いみたいで、だいたい主食はお肉。
歩きながら見つけたレストラン、安いものを注文するとジャンクフードになってしまいます。
直径30㎝以上ある肉肉しいこのハンバーガー、当時21歳の私には最高のごほうびでした。
アルゼンチンのハンバーガーは、ちょっと肉が固いけど美味しいんです。
さて、南米の長距離バスは居心地が良いんですが、その車中で私は少しずつスペイン語を覚えていきました。
そしてこのころ現地の人に通じるのか色々話したくなっていたんです。
わざわざさっきのハンバーガー屋の店主に
「Estoy buscando una posada」(安宿を探しています)
と恥ずかしながら聞くと、
彼は「アキーアキー!」(こっちこっち!)と案内してくれていた気がします。
そして、当時の日記に記されていた宿を、さっき(2022年)グーグルで検索したらありました。。
2010年2月5日のことでした。
ここで1泊し、さらに南へ向かいます。
つづく。。
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