こどもは理解していた。だから辛かった。
家族と暮らすシェアハウスでみえてきた「家族」のかたち。
そして「他人の子供」への容赦のない本音と眼差し。
ここは退去後も消えない、失望や恐怖心を吐き出す場所。
大人たちの、子供に対する許容範囲の狭さ。
それを、いちばん理解していたのは子供たちだった。
もちろん、子供達はそれを「狭さ」と捉えてはいない。
ただ「大人はいやがっているから、しないでおこう」
と気遣っているだけ。
ここにいたほとんどすべての大人たちが気づいていなこと
あるいは、気づいているけれど無視していることがある。
子供たちは、まだ辛さや悲しみを自認できない。
自認できるほど、強くない。
そして、悲しみを言語化できる知識や経験を持っていない。
運営とのやりとりで
「18時~20時のあいだの騒ぎ」について
「認めてやってほしい」ことを切々と訴えていたが
しまいにはこんな返事が来た。
また現時点で、こどもたちから「廊下は走っちゃいけないよ」とこども同士で声を掛け合う姿もあると聞いております。キッチン周りで単身者が「危ないよ」と声をかけ、「駄目だよ」とこどもたち同士で走ることをやめる姿なども聞いております。
これは子供の自主的な行為ではなく、親が、みんなの見えないところで
説得して、抑えつけているから、ということに気づいてない。
子供たちは芯まで理解できていないことを、大人は気づいていない。
子供たちは大人から言われた「ダメだ」というルールを
大人に保護されるため(という自覚はないけど)、信頼されるため
約束を忠実に守ろうとする。
でも、大人はどうか。
ルールとして定められているものを、「さじ加減」で守る。
それを、子供たちはみている。
ねぇ、どうして廊下で遊んでるの?
ねぇ、どうして大騒ぎしていいの?お酒飲めるからいいの?
(共有リビングの一か所をさして)
ここってべんきょうの部屋でしょ?おしゃべりしていいの?
わたしたちはだめっていわれたよ。
子供たちが、自分たちも本当はやりたいことをがまんして
ルールを守っているのに、大人は子供の前で平気でルールを破る。
それを、子供たちへの裏切りだと、認識していなままに。
無邪気に、純粋に。自分の気持ちに素直に、行動している。
親として、どう説明すればいい?
「あなたたちは『子供だから』だめなんだよ」と注意するなんて
いちばん使いたくない言い訳だった。
それをするなら
「大人は、自分に都合よくルールを作るんだよ」と説明したい。
でも、子供たちが親しみをもっている大人たちのことを
そんなふうに言いたくない。
もちろん、廊下で走り回ることも、キッチン周りで遊ぶことも危険なことであり、注意すべきことであることは理解している。
そして、もちろん注意もする。
でも大事なのは
・注意を理解できる年齢かどうか
・何度注意をしても効果がないとき
子供には主張したい気持ちがあることを受け止めること
であって
注意して「こちらの意図を理解してもらう」というのは
かなり高度な技で在り、子供の年齢によっては不可能であることを
知る必要がある。
こんなことも理解していない運営だけれど
運営には複数人
幼稚園・保育園・学童で数年間勤めた実績があるらしい。
その実績は、キッズルームに活かせているのかもしれないが
複数の子供を受け入れるという実践においては
なんの結果ももたらせていなかった。
そして一番の疑問は、ほかの子は注意されるのに代表の子供は
キッチンで走っても、廊下で走っても、戦っていても
なにしても許されることだった。
そんな差別を明るみにするような場所で、子育てをする理由は
ひとつとしてなかった。