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中途半端な私を愛して

私は私が嫌いだった。

何をやっても中途半端。

絵を描いても
才能が無いと勝手にあきらめて
逃げてしまう中途半端。

不器用で皆が出来ることが
出来ない中途半端な駄目さ。

そして劣等感。

モデルをやっていても
周りは凄い絵描きさん
凄いカメラマンさんのお陰で
私はたいしたこと無いけれど
素晴らしい作品が仕上がる。

せっかく私を選んで
作品にして下さる
絵描きさん
カメラマンさんには
大変失礼な話だし
「モデルさんがいるから出来る作品。」
「共同作品。」
と優しく言って下さるし
そんな風に思っちゃいけないと
頭ではわかっているけれど
私の中の劣等感は
拭い去れなかった。

そんなに美人じゃないし
胸があるわけでもない。

体型もちょっと細くて
ラインが綺麗なくらいで
そんな引き締まった
素晴らしい美ボディではない。

ポージングもそんな
THE☆プロって感じに
決まっている訳じゃないし
表現力も中途半端。

何もかもが中途半端。

そんな自分が許せなくて
自分が嫌いだった。

でも、自分のやりたいことを
実現させるには
「自分が嫌い」と言う
現状を変えないといけない。

だから私は苦しいけれど
自分と向き合った。
また嫌になった。
でも前に進む為には
向き合うしかない。
私は私が嫌いだけれど
前に向くしかない。

そんな葛藤をしながらも
モデルの仕事をしていくうちに
なんだか私の心の闇も
浄化されていくような気がした。

私はすぐに病むから
何もしなくても
哀愁深いところがある。

絵描きさんやカメラマンさんの
好みにもよるけれど
「憂いある感じで描きたい。」 
「憂いある感じで撮りたい。」

ということで
私は私のままでいいんだ。

ちょっと悲しいことを
思い出せば
すぐに憂い感じは出せる。

無理しなくていいんだ。
私は私のままで
受け入れてくれる場所があるんだ。
と思うと何だか
気持ちがホッコリした。
生きてて良かったと感じる。

普通の一般社会では
生きづらさを感じた私だけれど
この芸術の世界では
私は必要とされている。

私は私のままでいいんだ。
無理して普通にならなくていいんだ。

正直、今までの人生は
生きづらさを感じていたので
「生きる」ことに
疑問と苦痛を感じていた。

でも、今は違う。

この芸術の世界で私は
「生きて」いきたい。

「生きる」ため
「生きた」表現をしていきたい。

そんな風に思えるようになってきた。

私はまだまだ病んで
しまうところはあるけれど
中途半端な私も
ようやく好きになってきた。

むしろ、中途半端だから
面白いのかもしれない。

「芸術は未完成な方がいい。」

とある芸術家が言っていた。

だからある意味
中途半端な私だからいいのかも。

ようやく私は私を認め
中途半端な私を愛せるようになってきた

もちろん技術力向上は 
努力していくけれど

私は私らしく生きる為に
やりたいことを実現させるためにも

中途半端な私を愛して、前に進んで行こう。




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