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第二次能登取材(IBB能登取材2025)を終えて。
まえがき
2024年1月1日16時10分に発生したM7.6の大地震(輪島市と羽咋郡志賀町で最大震度7を観測)によって能登半島に甚大な被害をもたらした『2024年能登半島地震』
私たちIBB独立放送旅団は、同年1月26日~28日に第1回能登取材(IBB能登取材2024)を実施した。
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大火の被害そのままの状態で放置されていた輪島市「朝市」周辺を中心に、名刹・總持寺祖院の被害が痛々しい輪島市「門前」そして海岸線が一気に4m隆起した輪島市「黒島」などを取材。
特に門前では地元在住の方に発災時やその後の生活について体験談を伺った。
あれから1年‥。
本当はもっと数多くキメ細かく取材し、マスメディアが伝えない埋もれた実情を伝えたかったのだが、2022年夏の異常な下請け切りをきっかけとした財務ダッチロール。これにより「動きたいときに動けないジレンマ」に陥っており、1年間コタツ記事を発信する他無い体たらくであった。
(2024年夏ごろから財務は改善基調にあるが未だIBBは厳しい状況である。ぜひご支援をご協力をお願いしたい※巻末参照)
「何としても能登の現状を観て伝えたい」
‥その思いに応えて下さった皆様のご支援の御蔭で今回「第2回能登取材(IBB能登取材2025)」を遂行することが出来た。
この場を借りて心より御礼申し上げる。
1泊3日の強行軍
前回同様「1泊3日」の強行軍である。
・2025年1月24日深夜に大阪を出発。
・翌25日早朝より丸1日掛けて能登半島各地を取材。
・25日は現地泊。※当初、輪島市または珠洲市での宿泊を考えたが、復旧に携わる人々のリソースを奪いたくないということで前回同様金沢市に移動して宿泊。
・3日目となる26日に周辺取材と速報用コンテンツの配信作業などを行い大阪に戻る。
‥という流れである。
前回は私と前島かずき(兼ドライバー)の2名で赴いたが、今回はIBBピナツボゆりこが加わった。彼女は福祉の現場に従事するベテランである。その方面での知見を活かして取材したいということで参加してもらった。
出発
1月24日23時。諸事情により予定より3時間遅延して出発。名神自動車道→北陸自動車道という経路である。
名神道に入ったところで『QIC:1460』を車内収録。IBB九州のキラウエア裕子とリモート接続した状態での収録である。
通信途絶などのトラブルが危惧されたが、特に問題なく全編収録を終えることが出来た。
のと里山海道
途中トイレ休憩などを挟んで25日早朝4時過ぎ石川県に入った。
徳光パーキングエリア(石川県白山市徳光町)で90分の仮眠を取り、6時半から「のと里山海道(自動車専用道)」を北上。9時ごろ輪島市内中心部に到達した。
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昨年「のと里山海道」は北上するにつれ、地震の影響による段差・地割れなどの被害が酷くなり、走行するのに緊張感が必要なほどだった。
そして羽咋市の「柳田IC」以降は一般車両は通行不可となっており、ズタズタと言っても過言でない一般道を緊急補修した山道(しかも前日の降雪で滑りやすくなっていた)をゆっくり進むしかなかった。
今回は路面や崩壊した法面(のりめん)の補修、被害が大きい箇所では道路をずらした迂回道が各所で作られ、交通事情は格段に向上していた。
これは熊本(2016年熊本大分大地震)でも感じたことだが、国費を投じて一気に進める大規模復旧プロジェクトの効果であろう。
※だがこれはあくまで通行可能にするための大規模工事であって、完全な「復旧」ではなく「応急」であることに注意が必要である。
輪島市内
輪島市内に入ると、まさしく歯抜け状態で「更地」となった‥つまり解体(主に公費解体)が終了した区画が目に入ってきた。
だがその奥の路地などでは倒壊した家屋がそのまま放置されているところも少なくなかった。
解体真っ最中の現場もあった。
注意深く観察すると結構な数の重機が市内各所に入って稼働していた。
解体に至るまのでの道のりは、個々の建物ごとに事情が異なる。被害判定で半壊以上に認定され公費解体の対象となってから家主が申請。そして順番待ちである。
ところが申請に手間取るケースもある。
例えば家主が高齢で寝たきりであるとか、場合によっては思い出の詰まった家を解体することに躊躇したり、締め切りまで逡巡したりと様々である。
ちなみに私の仕事場兼住居だった熊本市中央区大江の「多目的文化情報発信施設lunedi」は、築70余年の古民家を改造した家屋で、発災直後の診断では「大規模半壊」と認定。公費解体の対象となっていた。だが大家さんが高齢で相続の問題などが複雑に絡み、結果解体に至るまで発災後2年を要したほどだ。
一概に「解体が進まない」と批判する声があるのは私も承知しているが、能登という地理的な問題や今後の経済面での復興の可能性などを勘案することが必要で、その上で地元住民に十分に寄り添う姿勢が重要だと考えている。
大火で甚大な被害を受けた「朝市地区」に入った。昨年取材した「あさいち交番前(現在は使用されていない)」である。
ここは解体がかなり進んでおり、瓦礫の類も取り払われ、ほぼ一面「造成地」の面持ちであった。
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元交番の斜向かいには不要となった家電品のリサイクル集積場が置かれ、寒中吹きすさぶ中、複数の作業員が元気に働く姿があった。
だがその周辺はまだ手つかずで、倒壊家屋が車を押しつぶしている場所があったり、道路に倒れかかっている危険判定家屋などが並んでいた。
元交番裏手の河原田川沿いの道路は、昨年観たときと同じで波打っており地割れでズタズタ。
通行止めの規制線が人々の侵入を拒んでいたが、この界隈を歩く地域住民は見渡したところ1人もいなかった。
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輪島港側の「輪島マリンタウン」にはブレハブの仮設住宅が軒を連ねていた。人々が暮らす重心がこちらごっそり移動しているわけだが、この日は断続的に霙(みぞれ)や霰(あられ)が結構な勢いで降っていたため、屋外での人影は極めてまばらであった。
そのような次第で、本来はこの周辺から生配信を試みるつもりであったのだが、天候が回復しそうになかったため断念。空いた時間を利用して急遽「珠洲市」に向かうことにした。
国道249号
輪島と珠洲を結び海沿いを走る国道249号である。
入ってしばらくしたところで我々は、随所で発生していた大規模地すべり、崖崩れ、法面の崩壊などの現場の惨状に肝を潰されそうになる。
「あの岩が落ちてきたら一巻の終わり」
そんな危険な場所の連続である。
一言で言って「ズタズタ」なのだが、この道が全線通行可能となったのは、ついひと月前の昨年12月27日。
昨年9月の豪雨禍でも工事現場に著しい被害があったという。
そんな中、約1年という短い期間でアクセスを復活させた関係者の皆様には頭が下がる思いだ。
隆起したのであろう元々波打ち際であったところに新しくアスファルト道路と防波堤を貼り付け、片側交互通行で通行できるようにしていた。
新しい道路の内陸側には昨年1月1日まで防波堤だったコンクリート塊とその奥にズタズタに破壊された旧国道が惨状を晒していた。
「こんな光景はそう簡単に観られるものではない」
戦慄を覚えながらその場所を走り抜けた。
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まだ複数の箇所で復旧工事が続けられており、よく見れば宮城ナンバーをつけた複数台の大型ダンプが取除いた土砂をピストン運送していた。
珠洲市
珠洲市中心部に入った。
ここでも輪島市とそう変わらない状況が目に飛び込んで来る。
つまり「更地」と「倒壊したままの家屋」が網の目のように混在する光景である。
一方「道の駅すずなり(珠洲市野々江町)」周辺の地区は営業している店舗なども幾つかあり、この地域の日常生活がある程度復活していることを感じた。
ちなみに「道の駅すずなり」は、2005年4月まで運行されていた「のと鉄道能登線(穴水~蛸島)」の珠洲駅のホームや駅舎を活用した観光案内、物産販売などに特化した施設である。
さらに2024年9月6日。隣接する敷地にプレハブ平屋の「すずなり食堂」がオープンしている。
この日は生憎の悪天候であったが、近隣住民や観光客?、作業服姿の人々など‥すずなり食堂は結構な活気であった。
丁度お昼時ということもあり、我々もお邪魔して喫食した。
同店は珠洲市の飲食店「グリル瀬戸」「レストラン浜中」「庄屋の館」「典座(てんぞ)」という何れも被災した飲食店が合同で会社を設立したもの。よくある冷食を使った粗雑な定食とかではなく、この地域で採れた素材を活用した定食類は味も見た目もボリュームも本物で、定食についていた「ダイズル汁」(ダイズル=海藻アカモク)はトロリとした食感と旨味がたっぷりの逸品で、冷えた身体に染み渡る美味しさだった。
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食事を終えて、珠洲駅の屋根付ホームだった場所で配信を試みようとしたら、またまた猛吹雪。しかも大粒の霰(あられ)である。強い横風によってホーム上の屋根はほぼ無意味。此処でも配信を断念せざるを得なくなった。
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輪島市門前へ
13時ごろ。珠洲市から速やかに移動開始。
この日、最後の行き先は輪島市門前である。
珠洲市から海外沿い国道249号を南下。
地震でその姿を一変させた「見附島」を脇に観つつ能登町・穴水町とこちらも甚大な被害を出した地域を抜け、途中数か所で撮影を行いながら門前を目指した。
總持寺祖院
15時。輪島市門前に入る。
被災した「總持寺祖院」に向かった。
境内は1年前とそう変わっていない。
いくつか瓦礫や散乱していた物品が片付いていた程度で、石灯籠や石碑は倒れたままだし、倒壊した建物もそのままであった。
復興への道のり‥その困難さを感じた瞬間だった。
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ちなみに總持寺祖院は、2007年3月に発生した「能登半島地震」で伽藍が傾くなど境内の30棟すべてが被害を受けている。
修復工事が進められ、2021年4月に落慶法要が営まれた。
そんな矢先の再被災である。
現在クラウドファンドなどで復興資金集めが続けられているが、国の登録有形文化財に指定された建物を擁する名刹である。国の強力な補助を期待したい。
「まだまだ能登は大変だ」
元々脆弱な経済力、土地から離れる人々などプラスの要素が少ない地域での大規模災害。都市部のそれとは状況が異なる。
しかし都市部だろうがそうでなかろうが、同じ日本国民の生活がかかっている極めて重要な課題である。
能登に似た‥あるいはさらに厳しい事情を持った地域で同様の災害が発生した時に備えて、あらゆる叡智を結集して鉄壁の「減災+復旧の指針」を作っておく必要がある。
政治家たちは真剣に取組んで頂きたい。
発災直後、与党や石川県など地元自治体の対応に様々な疑念、異見が飛び交ったのは記憶に新しいところだ。
また「フェリーやキャンピングカーを掻き集めろ」と粗雑なプランを言い出した野党ベンチャーもあった。
被災した現地に行けば分かることだが、
停泊する港は?
駐車するスペースは?
水や電力はどうする?
食料供給は?
し尿処理は?
‥数多くのミッションが必要になる。
少し落ち着いて考えれば「絵空事」もいいところだと分かる。
闇雲に「重機をよこせ」とも言った政治家もいた。
今回私が見て回った限りにおいては、相当数の重機が現地入りしていた。
その一方で、裏路地の倒壊家屋など簡単に重機が入れない箇所も散見した。
これらをどう処理していくか?
‥2016年熊本大分大地震の際の震源に近い益城町の裏路地撤去などの知見が役立つかもしれない。
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政治家はパフォーマンスではなく、地元行政や復旧復興に携わる組織や人から生きた情報を集め、事を大規模に動かすための予算措置を模索するのが第一義的な責務であると思う。
与党でも野党でも何でも良いので、そのことについて真摯に取組んで頂きたい。
黒島海岸にて
總持寺祖院を後にする頃には、昼過ぎまでの荒天が嘘のように青空が広がりだした。
ここから車で10分程度。黒島の海岸に向かった。
4m隆起した黒島漁港から続く海岸線。
昨年は露出した海底の岩礁が生々しく取り残された潮溜まりにはウニやヒトデなどが生きていたものだが、いまはその上に砂が堆積し覆っている。
だが隆起した海岸は遠浅で、防波堤のテトラポットが所在なさげ。
今ではそこから300mほど歩いた先が波打ち際である。
犬をつれて散歩しているお婆さんに出会った。
私と前島は「今なら生配信できる!」ということで急遽そのセッティングを始めた頃合い。
人と接するのが大得意なピナツボゆりこがそのお婆さんと会話し始めた。(ここら辺は彼女が我々よりもウワテである)
近くの避難所で生活しているとのことで、短い時間であったが様々な話をしてくれた。
この人たちの平穏な生活をいち日も早く取り戻したい。
そう願わずにはいられなかった。
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編集後記
本文は、IBB能登取材2025を終えた翌日(2025年1月27日)に行動記録として急ぎまとめたものです。
※現地で撮影した長時間の動画・静止画をまとめて後日「榎塾・オープン講話」として公開予定です。
~IBBをご支援下さい!~
私たち「IBB独立放送旅団」では、このような被災地取材だけでなく野党ベンチャービジネスの闇を追求するなど様々なコンテンツを企画制作しています。
皆様からのご支援が私たちの取材力を強化します。
金額の多寡は問いません。
ぜひご協力をお願い致します。
◎ご支援送金先
口座①PayPay銀行・ビジネス営業部支店・普通4897596
口座②ゆうちょ銀行・408店・普通4416326 または14040-44163261
名義/エフエムシー(タネダモリユキ)
※どちらでも構いません
※誠に恐れ入りますが、送金手数料をご負担下さい。
※振込明細を領収書に代えさせて頂きます。