やさしいふりはもう辞める
数時間前、アルバイトを辞めてきた。
数えきれないほどの嫌味を吐かれ、何度も自尊心を傷つけられても二年と少しという長い時間を耐え続けることができたのは、好きな人がいたからだった。
「好きな人」という頼みの綱だけで、私は何とかその陰湿な場所を生き抜いてきた。
しかしつい先日、その人に恋人がいることをあり得ない形で知り、何とか繋がっていたはずの頼みの綱がプッツリと切れてしまった。
それはその職場で働き続ける意味が無くなったことを意味していた。
私は一週間もたたないうちにアルバイトを辞める決心をした。
そして最後の出勤日。
もうここに来なくていい。
もう既に大嫌いになった、好きだった人の顔も見なくて済む。
それらの事実に私はどうしようもなく高揚し、頭の中でとある結論に至った。
「もう優しいふりをする必要なんてない」。
私はこれまで「優しい人」「強い人」であろうとした。
何を言われても耐え、素直に相手の指示に従ってきた。
そうすることで、私は成長し、優しくて強い人間になれると本気で信じていた。
けれど何のことはない、馬鹿みたいに優しい人間のふりをした結果、私は「何も文句も言わず逆らわない、ストレスのはけ口になってくれる易しい人間」と化してしまっていたのだ。
だから最終日、私はこのレッテルをどうしても剝ぎ取りたかった。びりびりに破いてやりたかった。
私はお前らが思ってるほど優しい(易しい)人間じゃない。
だからこれ以上私を無下に扱うな。
そんな気持ちのもと、私は最後まで働いた。
バイト後、これまで私を無下にしてきた人たちにさっさと建前上の挨拶をし、申し訳なさそうな顔をしているクソ野郎(元好きな人)にも同じような挨拶をし、初めてすっきりとした気持ちで颯爽と店を後にすることに成功した。
呪縛から解放されたこと、そして「やさしい人間のふりはしなくていい」と気づけた自分の成長に嬉しくなり、帰り道は小躍りとスキップが止まらなかった。
優しくあることが良いことであるとは限らない。
間違った優しさは、今回のように自分を「易しい人間」へと格下げさせてしまう。
そんな大事なことに気付くことができたから、この二年半の経験は決して無駄なことではなかったと思う。
自分に合わない優しさではなく、本来の自分が持つ優しさをこれから探し、磨き上げていきたい。