(小説) 砂岡 3-3 「ディベート」
カフェテリアに戻ってきて、わたしは打ちのめされてショッピングモールから一歩も出られずにいた。擦り切れ表面が真っ白になったガラスから、夕焼けのコントラストがショッピングモールを覗き込んでいる。それをわたしは手すりに掴まって見ている。外は完全に晴れたようだ。そんな景色を見ていると、お腹が空いたので、また素うどんを食べようと思った。
疲れた、もう本当に疲れた。なにも理解したくない。
「はい。」
わたしの後ろの席に4人組みが座っていた。食べるときは恐ろしいほど、無口に、黙々と食べていたのだが、ひとりが話題を打ち出すと、火に油を注いだように広がった。
話題は「恋愛とプロパガンダ」。
その討論(ディベート)はいまのわたしに深く突き刺さることになる。以下内容一部抜粋。
「美酒はなぜ旨いのか、それは美酒だからだ。そう結論付けて納得できない。」
「わかる。美酒が美酒たる所以をやはり知りたいとわたしは思ってしまうわ。」
「そうなんだ。美酒は一般性を持ったとたんに美酒でなければならなくなってしまうんじゃないかって。」
「そう一般性、社会性と言ってもいいわ。」
「ぼくも賛成だね。ぼくはアルベルトとこうして付き合っているわけだけれど、やはりそのことに意識的になって意味を見出そうとしてしまうときがある。」
「それは?つまりアルベルトのことを愛していない自分の可能性を知ろうとしてしまうということ?」
「そうじゃない。可能性というのは少し危険な言葉だね。そうじゃなくて、例えば、恋愛をする自分を演じているような。」
「すべてが欺瞞に思えているの?」
「そうじゃない。メアリー。どうしていつも君はペシミズムでメランコリーなんだ?そうじゃなくて、僕はもっと肯定的にいまの状況を再定義したいんだ。」
「さらに言えば、アルベルトとはいつまで再定義し続けられる関係でいたい?」
「予定調和さ。そう言ってもらって構わない。」
「いい展開だね。アルベルト、君はどう思うんだ?」
「クリスはそのことについてよく僕に相談するんだ。クリスの言っていることはよくわかるし、僕も付き合おうと思う。」
「アルベルトの意志は?」
「もちろん、それあっての同調。」
「うん。」
「でも君は外人部隊でもあった。」
「いまは違うけどね。」
「僕とメアリーは同性愛じゃない。でもここにいる。なぜだと思う?」
「いろいろ考えられるけど・・・。」
「実は観光なんだ。」
「僕たちもはじめはここに住もうと考えていたけれど、観光だったことにしようと思う。」
「つまり自我の問題で、差別化のために同性愛をやっているのではないかという疑念がめばえた?」
「そうかもしれない。だけれど、僕は僕の思ったことを信じたい。」
「うん。なるほど。」
「あの...恋愛は規定の社会の枠を越えられると思う?つまりあらゆるプロパガンダやその関係性を名付けようとする何者かを押しのけてまでの耐久力があると思う。」
「思わないね。」
「生殖という機能を鑑みたとしてもないとおもう。」
「難しいと思う。」
「ならなぜ、あたしたちはいまここにいるのだと思う?」
「それこそ、再定義するためさ。」
会話がフランス語だったので、翻訳っぽくなってしまったが、こんな内容だった。
それでも保ちたい関係はスクラップアンドビルトの中でしかなし得ない。とても納得がいった。もしかしたら、前の彼女も、わたしもそういう関係を望んでいたのかもしれない。まだ十代前半だったわたしは、そういう生き方を知らなかった。過度に甘え過ぎた。「彼女に」ではなくて、恋愛という状況に。
「わたしはレズです。」
また中井海央さんのことを思い出す。
中井海央さんの強さは、そんなところにあるのかもしれない。中井海央さんもまた自らの恋愛の本質と現象、ベールと肉体の強度を問い続けているのかもしれない。それなら、中井海央さんもまたこの国に見切りを付けているのかもしれない。
わたしは席を立った。いよいよ暗くなってきたし。そのまま、街へ出ようと思った。そして、明日になれば帰ろうと決心した。そして学校へ戻ろうと。
しかし、その前にすることがある。トレイを返却口に返却するということだ。
あのカフェテリアのくだらないディベートは後にして、ショッピングモーツ(大使館)の屋上へ上がった
もう、すっかり夜だ。
ネオンはほんの少し付いているが、ビルの合間からはっきりと星空を確認できる。砂嵐のあとの星空は格別だ。18時。入雅ではこの時間になるともう終電だ。ひとびとは働く気がない。この国の住人のすべてのひとが先ほどのような観光気分だったとすれば、それは悲惨なことだ。
「それはないだろう。」
入雅中心部を流れる幹線道路は静けさを増す。
しかし、議事堂前のいたるところから、火が炊かれ、配給が行われている。配給?そう配給が行われているのだ。テントには「オペレーション・プレアデス」と書いてある。どこかの活動団体かなにかだろうか。大英帝国の手先だろうか。妙に胡散臭い。しかし、そのテントの展開する規模は並外れている。まるでいくつもの難民キャンプを束ねるネクロポリスの海賊みたいだ。いや実際そうだ。
そうだとしたら、彼らは何のためにこれだけ大規模な慈善事業を展開しているのだろう。そのおかげでこの国のひとたちは働かないままだ。
「これが実情ね。」
ショッピングモール(大使館)の妙な活気のなさはどうやらここにあるようだ。
そこへ一機の巨大なプロペラを2枚付けた妙な形態をした航空機が頭上を通った。いきなり現れたので、その轟音に驚いた。ティルトローター機はふらふらしながら、大きな塔のほうへ飛んでゆく。飛んでゆくというか高度を落としている。落ちている。見えなくなった。空が小さく紅くなった。
つまり、墜落した。
そっか。