(小説)砂岡 1-5「チエ・ムプリ」

 マーブル市の市営地下鉄から国鉄に乗り換え、北へ進むこと1時間、砂岡国と染切国との国境線を超えた。なんてことはない。双方とも大英帝国領なのだから。東側へ目を向けると低い丘と草原が広がっている。入雅はその先にある。北部になだらかに広がって見えるのがウナ山地である。褶曲によって作り出される造山運動はウナ山地のような山地を幾重にも連ねて山地は続いている。これらをひとまとめにして、グレートプロテクト山脈という。チエ・ムプリはそれらの山々から離れ、ポツンと一番手前に立っている。

グレートプロレクトとの由来は単純で、山脈が南から来る砂嵐を防ぐことからだ。そして染切国北部(マイトレーヤ諸国家群:旧エストランゲ帝国領)との国境線である。

「チエ山口駅〜チエ山口駅〜。」

この時期、つまりは海が干上がっている5ヶ月間の晴天日のレジャーと言ったら、登山なのだ。だから今日は休日ということもあって、駅は登山者でいっぱいだ。

 チエ・ムプリが登られるようになったのは、砂岡国が大英帝国下に吸収される前の、鎖国時代にまで遡る。最初は選ばれし、外国から来た修行僧や軍人が登ったが、修道院を建てるべく登山道が開拓されると、その頃から北部を中心に入植を開始していたプロテスタントや国内の富裕層や商人も訪れるようになり、西側の国境線は消えた。戦間期には要塞の建設計画があったなどの伝説も残っている。そんなチエ・ムプリだが、いまでは登山道はアスファルトで舗装され、レーブルカーやリフトまで運転し、老若男女誰もが気軽に訪れることができる観光レジャースポットとなっている。

 そうこうするうちに、中腹まできてしまった。そう、この山、チエ・ムプリは有名なわりには標高が599mという低い山なのだ。

春木は坦々と歩を進める。

緑は様々な表情を覗かせる。木漏れ日は登山者を照らすスポットライトのようだ。涼しい北風が吹くと、あの熱く暗闇に満ちた砂嵐を忘れられる。この二極的な風土は砂岡の人間の精神性に計り知れない影響を与えていることだろう。

 前を行く幼稚園児たちが目に留まる。私服で帽子と名札だけが同一規格なので、割と自由「主義」な校風なのだろう。うちの高校はまだ制服が廃止されてから3年しか経っていない。当時は高学年のひとたちの行う校内署名運動になんとなく参加していただけだったが、森川は違った。彼は生徒会だったのだ。いまもだけど。

森川くんは男である時点でもうダメなのよ。
そんなもんかなぁー。
そういうもんなんですよー。

「森川も以外と無責任よね〜。」

独り言をつぶやいたくらいで息は乱れることもない。春木はリズムよく幼稚園児たちを追い抜かしていった。

 門が見えてきた。石造りの、櫓といってもいいかもしれない。昔の教会の住人が建てたものだ。登山道は少しばかり狭まり、登山者たちは凝縮されたせいで、混み合った。下山するひとの群れも増え、右側に出て抜かすことも困難だ。自分のリズムが崩れるのはストレスだ。さっきまでの快調さはどこかへ消えてゆき、気持ちは昨日のことへと急速に向いていった。ひとが密集したせいか、気温も増したように感じる。毎年のことながら、この人混みには滅入る。「あーもう」とりあえず自動販売機の横に座って、ザックをひっくり返して財布を探すことにした。

入雅国違憲判決のLGBT関連のリスト
2003年  血統基本条例(一夫多妻を認める)
2005年1月 同性婚を入雅市条例で定める
2005年3月 一妻多夫を入雅市条例で定める
2007年5月、改正同性婚法2条によりLGBTや差別的言動の禁止条例
2007年6月、家庭に関する条例により養子縁組に関する一部規制緩和


ここ5年間の「入雅国」から「入雅市」へ下した違憲判決のLGBT関連条例のリストだ。なぜかザックのなかに入っていた。というのは嘘で、あまりにも衝撃的なあの事件を整理し直そうと思ってもってきたのだ。くしゃくしゃになったそのチラシには「世界で最も自由の国、IRUGA」と黄色地に赤字。
提供元は「オペレーション・プレアデス」とある。なんだこれは。

「ほんとうにどいつもこいつも。(自身も含まれている)」

声にため息が混じった。人混みのなか、疲れる。どうしてこんな胡散臭いチラシなんか読まなきゃいけないんだろう。逆に、どうして中井海央さんはこんなことに熱心なのだろう。どうしてカミングアウトなんかしたのだろう。

中井海央さんはまず現状を知って欲しいと言った。

中井海央さんはまだわたしがレズだとは知らない。

わたしがカミングアウトしたら、わかりあえるだろうか。

繰り返しになるが、彼女はやはり勇敢な人物として讃えられるべきだろう。いや、その界隈では大いに讃えられているのかもしれない。それについてはよくわからない。しかし、普段は無口な彼女が・・・?

そして、さてと。対して森川はわたしがレズだと知っている。

うん。森川くんは無責任だが、わたしも無責任だ。彼から、逃げてしまったのだ。彼から貰うようなチラシはないが、逆に彼に渡すはずのプリントはいま、わたしの家の(シュレッターの中に)ある。

いまここに彼を呼んで、きちんと振ってしまおうか。ははっ!しかし、そこまでわたしもひどい人間ではない。だけれども、問題をひとつだけ、早急に片付けてしまいたかった。中井海央さんの問題と森川の問題をいま同時に考える余裕はない。中井海央さんをクラスに戻すとなれば、きっとわたし以外にはいないのではないだろう。いまは緊急事態なのだ。それに、答えは決まっている。

0069–4593–3370

それが電話帳の森川大介に与えられた番号だ。それにタッチする。歩みは相変わらずゆっくりとしている。大介という名前だったのか。知らなかった。
でも、いいや。

「もしもし、森川だけど、どした?」
「どした?じゃないわ。大事な話があるの。」

変に期待させるのは残酷というものだ。ひとは進んで自ら、悪者にならなくてはならない、誰かを傷つけなければならないときがある。なんて戦争時のような戯言だと思う。

森川くんと話すときはもっと柔らかかったような気がする。それも、もう・・・。

「あなたが、わたしに、告白した日の話。わたし、森川くんとは、無理。知っているでしょ。わたしのこと。」

最後の方、声が震えてしまった。甘え過ぎたんだ。彼に少しでも、わたしのことが好きになるかもしれない可能性と瞬間を与えてしまった。そのことで、もう友達でもいられなくなるかもしれない。・・・そんなのおかしい。

かといって、わたしは変わるわけでもない。彼はもっと辛いだろう。

「わかった。ぼくに同情的になって春木が傷つくのは辛い。」

いや、まぁ、よくもそんなに優しくなれるものだ。それをつけ離さなくてはならないこっちの身にもなってほしい。

それなのに、わたしは

「ごめんね。」

と言ってしまった。

涙まで流して。はぁ全く、こんなにも自分が脆いとは。これこそ、予定調和といったものだ。さらに、そのときわたしは彼のことについて涙を流しながら、どうして自動車は走るのだろうかとか、内燃機関の歴史的進化について、思い描いていた。いつ電話を切ったのか、切られたのかも覚えていない。自動販売機のコンプレッサーに耳を澄ます。

声を上げて泣いてしまいそうになったので、

自動販売機の後ろにすがった。あのベンチはわたしが泣くべき場所じゃない、全力で内燃機関について思考を巡らすほどに、泣けるような心の状態ではないはずなのに・・・。

 しばらくすると、すっきりした。


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