(小説)砂岡 2-2「マーブル」

 

 街を歩くのはとても好きだ。かといって、街が好きなわけではない。とくに、この街は。

まずマーブル市という名前そのものが気に入らない。そう言うとすぐにわたしを反英感情むき出しの右翼と決めたがる輩が許せない。

とにかく、安易過ぎるというか、もう少しそれっぽい感じが欲しい。なんだね、マーブルって。お菓子じゃないんだから。同じお菓子ならせめてアポロのほうがかっこよかった。

そんな議論はいろんな知識人がしているので、いまここで話してもしょうがない。とにかくなんとなく、しかし明確にこの街が気に入らない。

「はぁ、うちの出版社、駅から遠いのよ。ってゆうか、駅がたくさんあるくせに、すべての目的地が駅から遠いわよね。どういうことなの。」

ほら見ろ、ママもご立腹しておられる。

まさか機動隊と揉み合っている入雅の市街地にまで乗り込むはずはなく(ママ単独なら通信社時代の血が騒いで単独で乗り込んだかもしれないが…)パパを迎えに行くと言っても雀の丘を降りてマーブル市街地に出るだけだ。

ひとは夕方とあって結構いるが、普段、地上を歩いているひとがこの地下道に凝縮されたにしては少ない気もする。

「そもそも、ざっと言ってしまえば、墓石か卒塔婆よね。」

 ママが言っているのはマーブル市街地に林立する高層建築についてだ。地下道にはこの街の鳥瞰図が至る所に飾られていて、それを一目見ることで地下道の歩行者は現在の位置を空間的に把握することができる、らしい。正直、この標識は分かりにくい。とにかく、この鳥瞰図にはこの街の主な建築が描かれている。その建築たちはどれも画一的で、直方体なのだ。挙げ句の果てには「A10」だとか「D38」だとかの文字がでかでかと建築に刻印されているのだ。これでは、墓標と言われても仕方がない。数字の墓標。これがマーブル市なのだ。すべてが同心円状に区切られた区域で直線的感覚の基に成り立っている。

これが合理的らしい。なるほど。
なにが、なるほどだ!

「まぁわたしたちの街なんだけどねぇ。」

ママもまた団地的感覚を継承しつつあるかもしれないと思うと、身震いをしてしまう。ちなみに例の祖母はこの街を「生まれながらの廃墟」と呼び、芭蕉の句を添えた。もちろん彼女はこの街に住んでいない。

「パリみたいに建物が自由に繋がっていたらいいのにね。」

それは名案だ。行ったことないけど。

「ちょっと行ってくるから。スタバで待っててくれる?それとも、編集長にご挨拶する?春木の脳内思考、割とセンスあるわ。」

ママは私の筆者なり読者であると言いたいのだろうか?

「遠慮しとく。」

「わかった。お金はもってるわよね?パパから連絡くるかもしれないから、これ持って。パスワードは。」

「132でしょ。知ってるから、はいっ。行っていらっしゃしゃいのしゃ〜い。」

適当に返事をしてスマホを受け取る。

マーブル市全域は当然、地下であっても通信環境は良好だ。
SNSが封鎖されても、市民はVPNで対応する。

「スタバるか。」

外は砂嵐だが、それを感じさせないほどに、この街は完璧な日常を保っている。


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