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(小説)砂岡 1-2「ミカタ」

「男なんてただ精子を振り撒くだけの生き物だ。」
by塩崎

 わたしと森川君との間にはこんな関係があった。奇妙な信頼関係だ。2年前、わたしが2人目の女の子と別れた日、彼がモノガミーだと告白した日、つまり、わたしがレズビアンだと彼に告白した日。その日以降からの関係だ。当然「このご時世」そう容易に打ち明けられるわけもなく、いま現在わたしが同性愛者だと知るものは森川君と妹と前に付き合ったふたりの女の子だけだ。ひょっとしたら、塩崎も気づいているかもしれないが。

さて、今日の議題はなんだっけかな。この学校にはよその国にあるような、教科という概念はないのかね。生徒たちに押し付けられたこのディベートという暴力装置は、大英帝国の教育的方針と調和している。窓の向こうの塵がぎらっと西から東に流れた。あのトイレで水浴びをしていた小鳥たちも一時退避といったところか。


「はい!」

森川君のグループのなかのひとりの生徒がこちらに向かって手を挙げる。わたしが「どうぞ」と言うのを待っているようだ。別に手を挙げているのは彼女だけだし、そもそも挙手ルールなんてないんで、そのまま発言すればいいのだが、待っているなら仕方ない。

「どうぞ。」わたしは発言を許可した。そして、次の瞬間、後悔した。彼女はこう言い放ったのだ。

「わたしはレズです。」

教室が凍りつく。うつぶせになっていた者も不意の環境の変化に気がつき顔を上げ、冬眠から目覚めたクワガタムシのようにぴくりと瞼を開いた。いやクワガタには瞼はないか。

いまのは、改修工事中の食堂で建材が落ちたかなにかの音だろう。聞かなかったことにしたい。

しかし、彼女は続けた。

「わたしはこの国にある。恋愛に対する閉塞感を常に感じてきました。」

彼女の名前は確か、中井海央さんだ。あんまりグループ作りには積極的ではないタイプで、ましてやこんな発言をするような子じゃない。

「わたしもまた難民なんです。いま、入雅に集まっているひとたちはみんなわたしの仲間なんです。」

もういい。

「確かにそのひとたちの中には誤った手段でひとを傷つけるひとたちもいます。でも、あなたたちもそのマジョリティでもって、私たちを傷つけ続けているということを忘れないでください。」

やめて。

「あなたたちの議論には熱がありません。」

どうして、どうしてどいつもこいつも正しいことばかり言うのか。本当にやめてほしい。

「もうちょっとだけでも、わたしたちの気持ちを気遣ってくれてもいいのではないでしょうか。この議論はあまりにも残酷すぎます。こんなディベートならやらないほうがましです。」


 中井海央さんの声は落ち着いていて、震えていた。いや、震えているのは私だ。心臓が高鳴り、うつむいていた身体が硬直した。先生は腕を組んで黙っている。は?わたしがなんとかしろと?わたしにはゴタゴタいうくせにこういうときだけ、黙っちゃうわけ?

「わたしとあなた方との間にはあまりにも温度差があるようですね。」

あなた方って・・・。

「わたしはすべてのLGBTの味方で、入雅難民の味方でもあります。」

わたしだって・・・。

「どうですか?議長、もうこんな茶番尽くしのディベートなんか止めちゃいませんか?」

わたしだって・・・。

「わたしだって・・・。」
つぶやくように、おえつのように、喉が震えた。

「中井さん!いい加減にしろ!」

森川君・・・。

「あのな、あんたのカミングアウトはすげぇ勇気のあることだし、尊敬もするけどさ、ちょっとはさ、場の空気も読んだらどうだ?こんな学校のディベートなんかで本気になってんじゃないよ。」

とても森川君らしくない発言だ。たぶん、自分のこともあるだろうけど、まぁ、わたしのことも考えてくれているのかな。そんなことよりも、いままで以上に、床の木目が気になってしょうがない!

わたしは助かった・・・?助けられた?それでいいのだろうか。


「森川君、あなた、モノガミーでしょ。どうしてわたしの味方じゃないの?」

最悪だ・・・。中井海央さんは走り続ける。そう、走り続ける。

「中井さん、どこで?それを?」

「森川君の別アカ、一部でバレてるから。」

この期に及んでも先生は黙って俯いている。そのまま安らかに死ね。

あの平和なディベートからは打って変わって、地獄だ。ひょっとしたら、わたしの過去も中井海央さんに知られているかもしれない。木目は溝へと吸い込まれしまう。

「中井さん!やめて。高橋さんが泣いてるじゃない!」
ちょっと待った!塩崎の鈍感!それは火にガソリンだ。

「塩崎さん、どうして高橋さんは泣いてるんですか?」
中井海央さんは止まらない。

「それは・・・。と、とにかく、あななたのやっていることはね、ひ、ひとを傷つけることなの!」
塩崎、ありがとう、お願いだからもうしゃべらないで。

「ねぇ、みんな、どうして本音で話さないの!?」
中井海央さんも涙混じりになって声が震えている。

「本音で話したら、こうなっちまうからだよ。中井。お前、自分のしたこともう一度よく考えてみろ。」

と、静寂を保っていた先生がいきなり怒鳴った。

「どうじて、あたじが責められなぎゃいげないのよぉ!」

彼女の叫びが掻き消えるほどの警報がなった。


砂塵が来る。



この事件以降、中井海央さんと森川くんは学校へ来なくなった。

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