(小説)砂岡 4-2「リムジン」
「お母様も惚れるわけだ。」
こいつ誰だ。え?お母様って言ったか。
いや、このひと知らないし。
エリザベスとどんな関係?
お母様?
「いやぁねぇ、ロレンツォ。」
エリザベスの反応もすごく生き生きしている。
なんだ。
「あ、ありがとうございます。」
なに、照れてんんだ、わたし。
「ロレンツォ・アルマーニだ。ロレンツォ。お母様と同じく、名前で呼んでくれてかまわない。」
表情を変えて、エリザベスが問うた。
「どうだった?」
「素晴らしかったです。」
「どうだった?」
「意外でした。とても驚きました。」
「そうね当たり前だわ、王室が何年にも渡り隠してきたことよ。」
「...」
「帰りたい?」
「帰りたいです。」
「そう。私もよ。」
ここへ来た時とは違って、車列は街中を凱旋するかのごとくゆっくりと走っている。今度は、おばあちゃんが脚を組み直し、一呼吸置いて、突然話し出した。
「わたしがロンドンで看護師として働いていたことは知っているわね、忘れもしない1952年12月、ロンドンが「黒い霧」に覆われたことがあったわ。気管支炎や肺炎でそこら中で何千にも死んだの。エリザベスが即位して間も無いころの話よ。」
おばあちゃんはエリザベスに温かい眼差しを向ける。エリザベスもそれに応えるように、微笑む
「はっきりと覚えているわ。地獄絵図だったわ。誰が吐いたかも、わからない血が混ざり合って、排水溝へ流れ込んだ。目の前で横たわっている人が、生きているのか、死んでいるのかも、わからなかった。悲しむとか落ち込むとかなかった。ただ機械のように。手術だって若いわたしには、相手を救っているのか、殺しているのかも、わからなかった。」
わたしは淡々と聞いていた。
「そんなところに彼女は現れたわ。きっと外で何が起こっているのかを彼女自身が見に行く必要があるとの正義感に駆られたのね。」
エリザベスは沈黙しているが、きっと彼女は当時の光景を見ている。
「わたしが何をしたか、ハルキにはわかる?」
これは本当にわからない。わたしは唖然としていて一言も言葉を発することもできなかった。
「わたしはね、周囲の静止を振り切って、彼女の手を掴んだ。握り締めて、砕いてやろうとしたわ。」
ね、エリザベス。そのときわたしが言ったこと覚えている?
「『霧の中には大勢の人間がいるのよ。慎重に息をすることね。』でしたわね。おかげで、女王たるわたしの両腕は血塗れになったわ。」
「当時は憎しみに満ちていたわ。でも、わたしはね、実は嬉しかったの。エリザベスの手を握るとき、わたしは一瞬だけ、自分が機械であることを忘れて人間になったの。すべての感情を吐き出して、わたしが人間であることを思い出したの。それから文通が始まった。あなたから1年か2年に1回だけね。」
「あなたたちは、よく似ているわ。」
わたしはいつのまにか差し出されたアールグレイを眺めながら、そこに排水溝に流れる血を重ね合わせながら、その話を聞いていた。そして、窓に当たる音に耳を澄ませて、塹壕のなかのような救護所から外へ出てロンドンの黒い空を眺めている。わたしはそこに生き埋めになった塩崎を重ね合わせて、絶望しようとした。
「さて、次は僕の番だ。僕のなにが知りたい?」
この気持ち悪い男はわたしに絶望する時間を奪うんだ。なんて忙しいひとたちなんだ。このひとたちといると、湧き上がる気持ちや感慨に耽る時間まで1秒単位で管理されている気分になる。
わたしが黙ってアールグレイを啜りながら眼を合わせないようにいるとロレンツォは話し出した。なにもかも説明する気だろうか。こんなわたしに何の理由があってそんなことをするのか、それを説明されたことはないのに。自分のことばかり。
「この余興はね、僕がサラ王女と結婚するための取引だったんだ。ちゃんと議会で決まったことなんだ」
なにも驚かなかった。どうでもいい。それよりもこの雨に含まれる汚染物質の量が気になる。説明して欲しい。だれも武装要塞なんて望んじゃいない。
「武力は必要無いって思ってる?それは正しい。悪かったと思っている。僕が結婚するために君たちを利用したことを」
ティーカップの裏にマグネットがないのに、滑らないのはどうしてだろう。
「だけど、僕は自分を正当化する為に十分な理由をもっている。ここが単なる逃げ場所ではなく、世界を変えてゆくためのエピデミックとなると信じている。」
わたしはポッキーを齧りつつ、脚を組もうとして「いたっ」と声が出てしまう。しばらく同じ姿勢だったから忘れてた。
「僕が海兵隊時代に男と付き合っていたことをサラ王女は知っているんだ。」
降りしきる雨は止むことなく、リムジンは大型のジェット機の前に止まった。フラッシュが眩しい。ドアが開くとラジオの音を急にあげたかのように、どっと音が流れ込んできた。わたしはびっくりしてポッキーを落としてしまう。
気がつくとリムジンの中には誰もいない。防弾ガラス越しにわたしにもフラッシュが当たった。あぁ、わたしは見ちゃいけないものを見ていたんだ。