
しつこくても〜阪神・淡路大震災を考え続ける
しつこいようだが、阪神・淡路大震災のことを考える。
ここ数日はあの震災のことばかり考えており、1月18日の父の命日を忘れかけたくらいだ。
阪神・淡路大震災のことで頭いっぱいだったのですが、今日が父の命日でした。今まで忘れてた…。
— 榎木英介 独立系病理医(学士編入) (@enodon) January 18, 2025
13年前。寝ている間に死んで、承諾解剖してもらい、急性心筋梗塞と分かりました。67歳没。
身内を解剖される家族という経験をさせてもらいました…。それも今に生きています。
ずっと考えていたから、いろいろなことを思い出した。
たとえば、20年前、震災10年の2005年1月17日、私は震災で作られたHAT神戸、人と防災未来センターの横にある神戸赤十字病院で研修医をしていて、真横で開催されていた式典に多くの人が来ていたのを覚えている。
午前11時45分からは、同市中央区の兵庫県公館と神戸東部新都心(HAT神戸)で、県などが主催する「阪神・淡路大震災10周年追悼式典」が開かれた。皇后陛下とともに初めて式典に出席した天皇陛下は「多くの死を無にすることのないよう、皆がさらに力を尽くしていくことを願います」と述べた。式典にはヤン・イゲランド事務次長(人道問題担当)ら国連幹部も参列した。
思えばHAT神戸の神戸赤十字病院で研修したのも、阪神・淡路大震災のことが頭にあったからだ。
HAT神戸内には復興住宅がある。
何の機会か忘れたが、復興住宅の患者さんの部屋にお邪魔したこともある。
初期研修をした神戸赤十字病院は、私が研修をする前年に、二つの赤十字病院が統合し移転してできたものだ。
旧須磨赤十字病院と旧神戸赤十字病院が発展的に統合し、阪神・淡路大震災の経験と教訓を踏まえ、大規模災害に対応できるよう兵庫県災害医療センターと一体的に整備が行われ、平成15年8月にHAT神戸に新築移転しました。
震災のとき、赤十字病院は被災者医療の最前線にたっていた(参考 震災から5年 : 災害医療の現場から)。
震災の教訓を踏まえてできた病院に、たった1年(大学病院とのたすきがけだったので)だが勤務できたことは貴重な経験だった。
考えてもみれば、そもそも、20世紀のうちに神戸大医学部に学士編入制度ができたのも、震災復興という意味合いがあったと聞いている。私のキャリアに震災は深く刻まれているといえる。
震災を経験していない神戸市民という立場は、「共事者」と言える。
昨日は震災を経験していない神戸市民という、当事者ではないけど全く関係がないわけではない立場であれこれ投稿してみました。
— 榎木英介 独立系病理医(学士編入) (@enodon) January 18, 2025
これって、私の研究不正や雇い止め問題などに対する立ち位置と共通していて、こういう立場の人間が関心を持って何かしら関わることが結構重要だと思っています。
続く https://t.co/Si775FSLnq
こういうのが、小松理虔さんの言う「事を共にする人=共事者」かなと自分なりに解釈してあれこれやっています。
— 榎木英介 独立系病理医(学士編入) (@enodon) January 18, 2025
「当事者」から「共事者」へ。 思いの連続性が社会を変える | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン) https://t.co/MUIdwgUjHD
だからこれからもしつこく震災のことに触れ続けていきたいと思う。
もう一つだけ思い出したことがある。
以下は震災とあまり関係ない部分もあるので、有料にしておく。
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