無条件という条件
無条件という条件について考えている。例えば対人関係の中での場合、全てを取り払った時に残されるものは一体何になるのか。
所謂人を選ぼうとする人たちの言う条件とは、顔や身長などの外見、学歴や経歴、家庭環境、ファッションセンス、趣味、等かしら。挙げればキリがないですが、これらを全く無いものとして人に好意を持つにはどんなシチュエーションで出会うことが条件になるのか。
私が思うには、やはり偶然という条件が全てではないかと思う。条件を入力して画面に出てくる人の中から選ぶのではなく、または出会う目的の一致した環境で出会うのではなく。相手のことを、人を選ぶフィルターを全く介さずに見ること。無条件のフィルターを介するには偶然出会うという条件が必然的になる。
その条件を見ることができる関係が、親子関係であると思う。子が「親を選べない」と嘆くことと同様に、親も子を選べない。勉強ができるか、運動ができるか、何が得意か、見た目はどうであるか等は生まれた赤子にはまず求めない。何もできない生き物に愛を感じる、むしろ何もできないことに愛しさを覚えるのではと見ていて感じる。
親が子を想う気持ちが無条件の愛に値するのなら、私は捨て猫であった愛猫にそれと同じ気持ちを抱いている。一日の大半をずっと寝て過ごす我が子を愛おしいと思う。ただ健やかであれと願うだけである。これは無条件の愛に間違いない。