「あなたは私の定点」という告白は最高
昨年、東京に数日間滞在した。久しく会っていなかった旧友と再会し、凱旋パレードよろしく行脚した。
大学一年生からの友人との別れ際、電車で立ちながら次回いつ会えるかと話をしていたなかで、「一緒にいると落ち着く」と言われた。素直に心が弾んだ。
ここ数か月、目まぐるしい日々を送っている。オンオフ問わず、知り合って間もない方々と交流する時間が増えた。新しい関係性を築いていくこと自体は、とっても楽しい。相手との会話から生まれる、私にとっても相手にとっても未知な世界に進んでいくような感覚がとても好き。
今現在、ほぼほぼではあるが、自分の選択なしに、否応なしに置かれる環境というものが無くなり、出会う人は基本好きになる前提でいる。(これがよいことなのかどうか、今は分からない。)仕事となれば話は別だが、仕事でもとりあえずは性善説スタンスで生きている。
人と出会う都度、「これからどんな関係を作っていけるのだろう」と期待してしまうが、聖徳太子でもないパンピ~な私が続けられる関係性の数は知れている。心赴くままに、思い立った数だけ、新しい扉を開いてしまうと、その後それぞれの扉を開ける回数は少なくなっていく。得意技、人間関係、浅く広くが大いに発揮されてしまう。
そんな交流仕草をしてしまう私にとって(みんなそうだろとは思っている)、長く続く関係はとても貴重。(みんなそうだろとは思っている(2回目))
七転八倒な日々を送り続け、「私って大丈夫?」と思い悩み続けている人生。必要なのは、いざ人生を振り返ったときにすぐに目に入るような際立ったターニングポイントを誰かと共有できていることだと最近思うようになった。頻繁に会えなくても、それだけを共有できていれば十分。「私って大丈夫?」という不安も互いのターニングポイントを知っている仲なら、大丈夫か大丈夫じゃないかの語り合いもできる気がする。逆に頻繁に会えないからこそ目立った変化に気づける気もする。大丈夫の定義とは、ですが。
互いのターニングポイントを知っているって最高。嗚呼、最高。それって所謂、定点観測じゃないですか。対人の定点観測。
「いやいや、観測する側の人間も常に動いてますやん、定点てなんですの?」という心の声が聴こえてきます。私のイマジナリー人間定点観測は、動く地面エスカレーター(長すぎる空港の廊下や、長すぎる駅の廊下にあるアレを想定)に互いに乗りながら、観測しあいます。だって私たちは、常に進み続ける時間のなかに生きているから!!!私のイマジナリー人間定点観測では、互いに乗っている地面エスカレーターが途中で合流し、心のシャッターを切り合うとまた離れていくようなイメージ。イマジナリーなのでなんでもありです。言うならば、二人の関係性自体が定点というものでしょうか。時間とともに更新され続ける定点。
これからどれだけの定点を持てるのでしょうか。
そしてどれだけの人にとっての定点となれるのでしょうか。「友達100人できるかな?♪」じゃないんですよ。そこから時間という唯一のザルを使って本気の定点を見つけられるかなって話で、且つ見つけられろって話なんですよね、、、。私は、誰かにとって帰ってきたくなる点として、動く点Pとして、互いにまた合流できるように精進していきたいです。点PのPってPointのPですか?
私は、心がリンボーダンスしてしまいそうな言葉「一緒といると落ち着く」に対して、今ならこう返します。「それって定点観測ってこと?!」(ちいかわボイス)