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みんなが泣いてるアニメとかで泣けなくて泣ける系が苦手になった話

僕は涙の沸点が高いからなのか、ASD傾向のせいなのかフィクションでもなかなか感情移入等ができず涙を流せないのが悩みだ。(しかし全く泣けないことはないが…)

そのことがわかった中学生の時はそのことをあまり気にしなかったが次第に気にするようになってしまいついに悩みになってしまった。

物事で泣ける泣けないってそんな重要か?と思うこともあるが、「同じものを見て、僕以外の人がみんな泣いてる」状況の孤独感が辛いのだ。

「みんな〇〇なのに自分だけ違う」という孤独。

他の分野でも僕はそうなのだがこれに関しては悩んでるのだ。「自分だけ違うけど気にしない!」ができない。その悩みが大きなものになり、明確になったのであろう出来事がある。

映画「若おかみは小学生!」を観た時。自分も話題から観に行ったのだが結局泣けなかった。(内容は素晴らしかったし感動もしたけど)終盤のシーンでは周りから鼻を啜る声がめちゃくちゃ聴こえて、みんなは泣いてるのにのに僕だけ…となってしまってた。
テレビで放送された時も同じだった。Twitterで同じく若おかみを見てたff内の人たちが「泣いた」ばかりでまた孤独感を感じて嫌になってしまった。

映画館という「一定の人が集まる空間」で同じものを観て、「自分だけ」(じゃなかったのかもしれない)が皆と違う反応を起こしてしまい、改めて「自分は周りの人とは違う」ことを痛いほど知らしめられたから。映画館やTwitterを見ながらでは特にそういう孤独感を感じやすかった。

僕だってみんなのように感動して泣きたかった、でもできなかった。

それからなのか、(もしかしたらそれより前からだったかもしれない)「泣ける」ジャンルや感想に対する忌避感や苦手感が強くなってしまった。
まずpixivのタグにもある「涙腺崩壊」という文字が見るのもかくのも嫌になってしまった。
ゲストの芸能人や観客が泣いてる映像が流れる番組や映画の宣伝も苦手になって見てしまい、チャンネルを変えたくなるぐらいになってしまう。
観てない作品でも「号泣した」という感想などをみれば心臓がぐわっとなる感覚になる。などといった「泣けるもの」へのコンプレックスに囚われてしまった。

泣けないのが怖いから、みんなと違う人間がすぎることを受け入れたくないから。孤独になりたくないから。

また、最初から「泣けるもの」と知らずに観たもので泣けなかった時にも後に他に観てた人が「泣いた」という情報を結構得てしまった時、その時も同じように孤独感を嫌というほど感じてしまうのだ。そして「なぜ自分はできないんだ」と自己嫌悪を起こしてしまう。
プリパラの「ガァルル、目覚めるでちゅーっ!」がその例である。

本当にどうしようもない悩み。理解してくれる人も少ないだろう、これは受け入れるしかないと考えたのだが、なかなか難しい。
そもそも自分のコンプレックスを受け入れることができない。

フィクション以外でも現実で悲惨なことがあっても悲しいなとは思うものの涙を流すことができない。それで冷たい人、人間じゃないなんて思われてしまったらどうしよう、怖いよ。

涙の沸点が高いと色々とめちゃくちゃ苦労してしまう人がいるなんて、あまり知られてないのかもな…


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