人間の主体性とは?ミランドラの自由の捉え方

今回は14世紀イタリアの哲学者ピコ・デラ・ミランドラの「人間の尊厳」について、簡単に解説していきます。
僕は中世ヨーロッパの哲学者の中でもトップクラスに尊敬している方です。

1・ピコ・デラ・ミランドラとは

ミランドラはイタリアはルネッサンス期に活躍した哲学者です。
彼は熱心なキリスト教徒でして、大学では法学の中でも、教会法を学んだほどです。
彼は非常に可哀そうな方で、本人はその気がなかったのに、お上から反体制的な宗教改革者・異端者認定をされて、挙句の果てに毒殺されてしまいました。
その原因が、彼が最終的にたどり着いた思想_人文主義でした。
人文主義(humanism)とは、ルネッサンス期に誕生した思想でして、古代ギリシア・ローマの古典を紐解くことを通じて、神が中心の世界から、人間の価値に重きを置こうとする考え方です。あくまでもキリスト教の世界観の枠内で人間の美しさに価値を見出す、という話ですので、人間が素晴らしいからキリスト教はいらない!という思想ではないです。
しかしながら、後にカトリックの権威主義を批判し、ルターを生み出し、最終的にはジョン・ロックやシャルル・ド・モンテスキュー、百科全書派のような、人間理性を主体とする思想家たちの活動の大元になります。
云わば啓蒙思想の親のような立ち位置の思想になります。
そんな初期の人文主義の時代における、彼の思想とは、何だったのでしょうか。

2・「人間の尊厳」とは

もちろんキリスト教徒ですから、彼の著書『人間の尊厳について』には神様が出てきます。
そんな神様、様々な生物に能力を授けます。
飛行生物には、空と羽を、
水生生物には、海と鰓や鱗を、
地上生物には、陸と四足歩行の骨格を…という感じです。
さて、神様は一体、人間には何を授けたのでしょうか。
神様は、人間に特定の場所と能力を与えてくれませんでした。
その代わり、一つだけ、他の生物にはないものを授けてくれました。
それが「自由」です。
人間は各々が生きたい人生を謳歌するために自由を授かりました。
これこそが「人間の尊厳」である…という内容になります。

3・「人間の尊厳」はキリスト教を破壊できる?

さて、これがミランドラの思想ですが、なぜ当時の教皇に異端の審議をかけられたのでしょうか。
彼の「人間の尊厳」論における「自由」の定義を使えば、キリスト教を破壊出来るからです。
人間はなんにでもなれるならば、神を超越したり、神になろうとする人間が現れてもおかしくないのです。
その主体性や自由意志が、あまりに強力になるため、ミランドラは恐れられてしまいました。

4・感想

個人的には、彼の思想はあまりにも現代的な価値観(個人主義や自由主義)であるので、当時の権威主義者に受け入れられないのは、必然だったと思います。
ですが、彼のようなヒューマニストの活躍が、後の啓蒙主義者の活躍に繋がったので、彼は正しかったのだと思います。現在の人類は、飛行機や潜水艦、挙句の果てにはスペースシャトルなど、文字通り「自由」に生きる場所、行きたい場所を選択出来ているよなぁと思う日々です。



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