ヴィーガンはなぜ「カルトっぽく」見えてしまうのか

今回はこのようなタイトルで話を進めていきます。
ヴィーガンの方々が嫌いな人が多い中、彼らについての多角的な批判を展開出来ればな、と思います。


1・ヴィーガンについて

ヴィーガンとはまず何者なのかについて振り返っていきます。
菜食主義者と言っても、実は派閥が分かれており、魚は例外的にOKとする思想もあれば、究極的には自然と落ちた木の実だけしか摂取しない思想もあります。
一般的に「ヴィーガン」は動物肉と魚、そして卵と乳製品の飲食を禁止し、また動物由来の製品(毛皮や本革など)の使用を禁止している派閥になります。


2・ヴィーガンの「論理的な思想」について

多くの方はヴィーガンを「感情論」であると結論付けている方が多い印象を受けるのですが、調べたところ、決してそんなことはなく、実際にヴィーガンを倫理学として学問に昇華している教授が数人います。
この界隈で一番有名なのは、恐らく哲学者のピーター・シンガー氏でしょうか。

https://medicine.nus.edu.sg/cbme/wp-content/uploads/sites/14/2024/07/Peter-Singer.png

彼の功績は「なぜ、動物を食べるのが倫理的に問題を孕む」のかを理論として提唱したことでしょう。
その答えは「動物を食べるのは種差別(speciesism )だからだ」です。

科学的なものであれ哲学的なものであれ、動物が苦痛を感じることを否定する十分な理由は存在しない。もし私たちが他の人間が苦痛を感じることを疑わないならば、他の動物が苦痛を感じるということも疑うべきではない。
動物は苦痛を感じることができる。私たちがすでにみてきたように、動物が感じる苦痛(あるいはよろこび)は人間が感じる同じ量の苦痛(あるいはよろこび)と比べてより重要性がうすいという主張を、道徳的に正当化することはできないのである。(中略)もし私が平手で馬の尻をびしゃりと強く打ったとすれば、馬は歩き出すかもしれないが、おそらく痛みはほとんど感じないであろう。馬の皮膚は十分に厚いので、人間の平手打ちくらいではたいしたことがないのである。しかし、もし私が人間の赤ちゃんを強く平手打ちしたとすれば、赤ちゃんは泣き出すであろうし、おそらく痛みを感じるであろう。赤ちゃんの皮膚はずっと感じやすいからである。だから同じ強さで平手打ちしたとするならば、赤ちゃんを打つことの方が馬を打つことより悪い。しかし、ある程度の強さしその強さが正確にどのくらいかは知らないが、たぶん重いステッキでなぐるようなものだろうか_で馬をなぐるならば、私たちが素手で赤ちゃんを平手打ちしたときと同じくらい強い痛みを馬に与えることは可能にちがいない。私が「同じ量の痛み」というのはこういう意味であり、もし正当な理由もなく赤ちゃんに強い痛みを与えることはまちがっていると私たちが考えるのならば、私たちが種差別主義者ででもない限り、正当な理由なく馬に同じ量の痛みを与えることは同じくらいまちがっている、と考えなければならない。

ピーター・シンガー『動物の解放』p37~38

人間とその他の動物では、人権が保障されているか否かで痛みを与えても良い悪い、だったり食べてよい悪いを決めてしまうことは、種族間の優劣_種による差別をしているのではと彼は主張します。
種差別がどのくらい正当な主張なのかを考えるときに、例えばIQの高い低いで決めるにしても、豚の知能は人間の3歳児に相当しますが、では何故人間の赤ん坊を食べてはいけないのかの根拠を考えた結果、やっぱり種差別が起きているとピーター先生は考えるそうです。
この意見に賛同するか否かは個人の自由ですし、筆者はバリバリ肉食をするのであれですが、ピーター氏の意見それ自体は結構好きです。


3・ヴィーガンという組織の問題点

ヴィーガンを見た感じ、先ず思うことは「理論的」なヴィーガンが少なすぎる点にあると思います。
恐らくヴィーガンでない方がこの記事で「へーこんな考え方があるんだ」と初めてヴィーガンの理論を知るのではないでしょうか。
どの界隈にも言えることですが「理論的なヴィーガンには理解を示すが、感情的なヴィーガンは嫌いだ」というのがマジョリティだとするならば、ピーター先生のような理論派の意見を全く知らなそうな感情的なヴィーガン集団を「カルトっぽい」と言って嫌うのは、ごく自然な捉え方ではないでしょうか。


4・ヴィーガンの何が「カルトっぽい」のか

上記では、単に自分が気に食わない人物や集団を揶揄するために「カルトっぽい」という烙印を押している側面もあるため、ここからは具体的にどのような点が現実のカルトに似ているのかという観点で「カルトっぽい」のかを述べていきます。
結論から言うと、筆者の感覚としては「カルトはヴィーガンではないが、ヴィーガンにはカルトの要素が存在する」と捉えております。
というのも、筆者の考えるカルトの定義は「社会的害悪であるか否か」であり「法律の指標での合法/違法の、違法の領域の存在」です。
これをヴィーガンに当てはめたときに思うこととしては、世界的に見てヴィーガンは定期的に暴力行為や公共の場での迷惑行為を行うので、カルトの定義や法律の指標の違法に該当してしまう、という事実です。その辺りが「カルトっぽい」のではないでしょうか。


5・ヴィーガンはどうすれば「カルトっぽい」から脱却できるのか

多分、ある程度の反社会性を捨てればよいのだと思います。
普通に考えて、肉食文化を急に無くそうとしたら、加工食品の会社や酪農家、ハンターや屠殺業がみんな倒産し無職になったら、世界経済は破綻します。
ですので、ヴィーガンの人たちはヴィーガニズムを政策レベルで立案したり、予算案などを作ってくれる政治家を輩出したり、家畜業などを営んでいる人々への廃業後の公的扶助などを真剣に考えるなどを通じて、反ヴィーガンと共存の道に進むのが近道かと思われます。
肉食をしている人を非人道的だ!と罵ったり、SNSで見知らぬ人に過剰な勧誘をしたり、レストランを襲撃したりするから、「カルトっぽい」と揶揄されてしまうのではないでしょうか。


6・感想

最後に、筆者が読んでて感動したピーター・シンガー先生の言葉を載せて終わりにします。
彼のような理論的なヴィーガンが増えれば、支持や理解が深まるのではないでしょうか。

しかし成功するかどうか確信がもてないときこそ、私たちはしばしばあえてやらなければならない。ためらう理由が成功に結びつくかどうかわからないということだけなら、私たちがベジタリアンになることを妨げる理由は何もない。なぜなら、もしリーダーたちが成功を確信できるまで何の努力もしなかったとしたら、抑圧と不正義に反対する偉大な運動は、これまで何ひとつ存在しなかったであろうからだ。しかし、ベジタリアニズムの場合については、たとえばボイコット戦術が全体として成功しなかったとしても、私たち一人ひとりの行動によって何かが達成されると私は信ずる。

同上 p206

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