「なにものにもなりたくない!だって僕は今の僕で幸せだもん」の元祖みたいな人
神奈川近代文学館で6月2日まで開催されていた「帰ってきた!橋本治展」に行った。興味を持った理由は暇だったからで、元々橋本治についてはほとんど知らないし調べてもいかなかった。事前に知っていたことといえば「すごく精緻なセーターを編む人」ということくらいかなあ。
本人の頭身パネル以外撮影禁止だったので写真はないけれど、かなりボリュームのある展示内容だった。杉並区の商家(お菓子屋さん)に生まれ、当時東大を中心に巻き起こっていた学生運動を黙殺しイラストレーターとしてデビュー。その後『桃尻娘』で作家としてもデビューし、売れっ子クリエーター兼物書きとして注目を集め、歌舞伎から平家物語、恋愛、SEXなどなど、枠にとらわれないテーマを取り扱い続けた橋本治の遺した膨大な量の原稿と、デッサン、写真…その他もろもろが時系列順に展示されている。
手書きされた原稿はまるでデザイン画のようで、特にタイトル部分はそれぞれの作品の雰囲気に合わせて作られたオリジナルフォントのようだった。『桃尻娘』を書く時と『窯変源氏物語』を書く時とでは、文字のまとう静謐さも違う。『人工島戦記』では、原稿の表紙に書かれたタイトル(ほぼロゴ)がそのまま背表紙と中表紙に採用されている。橋本治は著作の中で「僕には緊張感がないんだよね」という話をしているが「あそび」や「緩み」が日々の暮らしの中にころんと入るような生き方をしていたのだと思う。それが、例えば『橋本治の思考論理学 考えるワシ』にも登場するブザマ曲線のような3次元的な思考にもつながっているように見える。
橋本治は「本は読まないが頭のいい15の男の子」を最低限の想定読者としているという。理由は「自分がそうだったから」。彼は甘ったれで傍若無人で、すぐに泣くといった子ども性(もしくは依頼心)を、自分にも他人にも許していなかったように思う。「世の中そんないいもんじゃない」から「安易に逃げ出してはいけない」と、周囲に期待しきった甘えた考え方を(ときに執拗に)切り捨てる。彼の中の数々のマイノリティー性がそうさせたのだと思うこともできるが、世界と社会と人間への諦めと、利用されないための強かさを身につけ生きていくことを、どこかのタイミングで自分自身に約束せざるを得なかったからなのではないかとも感じる。「頭の良かった」彼にはそれができた。そしてその思考の術を著作や講演を通して人々に伝えようとしていた。
昭和〜平成前期にかけてよく言われた「いい大学に入っていい会社に入って家庭を持つことが幸せ」や平成後期の「何者かにならなければ失敗」という言説を、橋本治は軽やかに一蹴する。それがよしとされた経緯も本質も分かっていないのに(たかが)現代の考え方や価値観に従ったり、従えないことに怯え右往左往したりする人々に決して寄り添わない、寄り添うことに価値を置かない。
そのうえで現状を「そういうものだ」と受け入れるよりも、本質を捉えた上でずらして遊んでいる。「生きづらさ」への拘泥をバカじゃないのオと笑う。
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